スポンサーリンク

なまらあちこち北海道|札幌の落語家・桂梅枝さん、105年ぶりの襲名

この記事を読むのに必要な時間は約 5 分19 秒です。

札幌在住の落語家、二代目桂枝光(しこう)改め四代目桂梅枝(ばいし)さん(65)が、襲名披露公演を11月28日に札幌、29日には士別で行うことになっています。

札幌の落語家桂梅枝さん 105年ぶり襲名の大名跡「自分の色に染めたい」

 かつら・ばいし 1959年、大阪市生まれ。本名・小出良司。1978年に三代目桂小文枝(五代目桂文枝)に入門し、小つぶに。1991年、子どものぜんそく治療のため北海道に移住。1996年、二代目枝光を襲名。明治時代には札幌に多く寄席があったことを知り、2005年からさっぽろ市民寄席「平成開進亭」を開催。2024年に四代目梅枝を襲名し9月27日、大阪・なんばグランド花月で五代目桂慶枝(けいし)とのW襲名披露公演をスタートさせた。

自分色に染められる名前

 「1996年に枝光を襲名した時、師匠(五代目桂文枝)から『上に梅枝という名前もあるから、頑張って継げるよう努力しなさい』と言われたんですけど、当時は名前をもらったばかりの『枝光』の方が気になって。意識し始めたのは十数年前から。弟弟子に『兄さん、そろそろ(襲名)ちゃいますの』とか言われて。
105年ぶりの名跡復活というのは歴史を感じる一方、いくらでも自分の色に染められる名前やとも思っています。師匠の奥さんからは『文枝の系譜にはいろんな名前があるけど、私は梅枝という名前が好きなんや。あんたに継いでもろたらうれしいなぁ』って言ってもらい、師匠の着物や羽織など十数点を預かりました。
弟子が見れば『あっ、師匠の!』というものばかり。使い込まれていますけど師匠の『魂』が入っており、襲名披露時もテレビの時も着てます」

9月襲名披露興行後の会見でおどけて笑顔を見せる桂梅枝さん(右)と桂慶枝さん
 ――9月27日になんばグランド花月(NGK)で、2025年4月まで全国各地を回るW襲名披露公演がスタートしました。どのような気持ちで挑んだのでしょうか。
 「同時襲名は1973年の桂福団治、桂枝雀、笑福亭枝鶴のトリプル襲名以来で注目度が高く、おかげさんで900席は満席。よしもとの関係者もみんな見に来てましたし、『今やらないでいつやるねん。今日から梅枝伝説のスタートや』という気持ちで上がりました。
現代風にアレンジした『替わり目』をやったのは、NGKが漫才の劇場で、落語を初めて見る方もたくさんいるから、パーッとはじけるような『これって古典落語なの?』というくらいの噺(はなし)が絶対ええと思ったんです。
その後の天満天神繁昌(はんじょう)亭では昼夜やらせてもらったり、関西のテレビに出演させてもらったり。もう一回一回が勝負。後日、NGKに出た時は、ザ・ぼんちやミルクボーイと共演し、お客さんは『落語か』みたいな雰囲気。
出ていって1発目からガンとかまして、10分くらいしゃべりまくって、転がって。オール阪神巨人の巨人兄さんには『おまえ、そんな芸風やったか』って言われて(笑い)」
 ――11月末には札幌と士別でW襲名披露公演がありますね。
 「北海道の公演では何をやるかははっきり決めてないんですけど、襲名から約2カ月。芸がどう変わってきているかを見ていただければ。自分でも今から楽しみなんです」

 北海道での披露公演

▽札幌 11月28日午後6時、共済ホール(中央区北4西1)。前売り5千円、当日5500円▽士別 29日午後7時、あさひサンライズホール(朝日町中央)。前売り3千円、当日3500円。いずれも詳細は公式ホームページhttps://baishi-keishi.jp/
 ――芸が変わるきっかけはあったのでしょうか。
 「6月に柳家さん喬(きょう)師匠が襲名披露として企画してくれた落語会が東京・三鷹であったんですけど、一緒に出てくれた柳家花緑(かろく)さんが『梅枝師匠の芸は、師匠の文枝ゆずりのネタに、赤や黄色や緑でペインティングした〝ポップアート〟のような落語だ』と言ってくれて。そのキーワードを聞いて、『なるほど』と心のもやが晴れたような気がしました。襲名披露の時から高座の〝間〟も変わってきたと感じていて。最近は『より陽気に、華やかに、底抜けに明るい』という舞台ですね」

大阪での襲名披露公演などについて語る四代目桂梅枝さん

毎回勝負するつもりで

 ――来年2025年に20周年を迎える平成開進亭では、東京の実力派や人気者を呼び続けて共演し、北海道の落語文化が広がるきっかけにもなりました。心がけてきたことは。
 「私は、毎回勝負するつもりでやってきたんです。東京から来るゲストの方はやり慣れている噺(はなし)をやりますから、こちらは(負けないよう)ネタがどこか面白くならないかと毎回工夫してやってきました。それが大きな財産になってます」
 ――柳家さん喬師匠や柳家権太楼(ごんたろう)師匠ら、共演されてきた東京の重鎮も、梅枝師匠の努力を認めてくれているそうですね。
 「優しさの形は違うんですけど、両師匠とも私の心の師匠だと思ってます。先ほど言ったように、さん喬師匠は6月の自分の落語会を私の襲名披露の会にしてくれて。権太楼師匠は10月の平成開進亭で喬太郎師匠とともに口上を引き受けてくれた。
この会では(夫婦の情を描いた)『芝浜』をやったんですけど、権太楼師匠は『梅枝襲名は本人だけの夢じゃなく、夫婦の夢だった』と言ってくれて。口上の時からぐっと来るもんがあり、(落語では)素でボロボロ泣いてしまって。そんな心持ちで上がったんは今までなかったんですけどね。
ただ、開進亭にも(これまでの出演者の演目が書かれた)ネタ帳があるんで、両師匠がいた時だけ頑張っても、いない時に楽したらすぐ分かる。そういう意味でも、お二方はいつも見てくれてはると思ってます」

病気のせいにはしない

 ――大阪での襲名披露では脳梗塞を患っていたことも明らかにしました。
 「10年前、大阪に行った時に脳みそがもわーっと温(ぬく)うなって『何や、これ』って、立とうと思ったら立てず、鏡を見たら顔の片方が動いてなかったので救急車を呼んでもらって。その時は『(落語家として)終わったかな』と思いました。後遺症にも悩んで。ひどい時は1席目で普通に話していても、2席目で小ばなしが出なくなる。でも家内と『出来の悪かった時の言い訳を、病のせいにせんとこう。発表するのは襲名した時にしよう』と。調子が悪くても1回でも笑ってもらおうと、時事ネタをいれたり小道具を使ったり。おかげさまで1年半ほど前から体調の波は小さくなりました」
 ――今後、北海道の地でどのような落語家を目指しますか。
 「禅語に『梅花五福を開く』という言葉がありますけど、梅の花はたくさんの幸をもたらそす花やそうで。お客さんと良い時間を共有して、『今日は楽しかったな、幸せやったな』と、たくさんの福を持って帰ってもらえる落語家になりたい。遊び心を忘れずにやっていこうと思います」
(参考:北海道新聞夕方のニュース)

コメント 感想やご意見をお願いします

タイトルとURLをコピーしました