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なまらあちこち北海道|二条市場のだるま軒、元祖の味で70年・札幌市

グルメ

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二条市場と言えば、かつては札幌に来た観光客が、北海道の海産物を求める場所でした。ここ3年はコロナの影響でその数が極めて少なくなっていましたが、また徐々に回復しつつあります。

そんな二条市場のなかにあるラーメン専門店「だるま軒」はまだまだ元気です。

二条市場の「だるま軒」 元祖札幌ラーメンの味、守って70年

 多くの観光客でにぎわい、コロナ禍から復活しつつある札幌市中央区の二条市場。その一角にある、市場唯一のラーメン店「だるま軒」は、札幌ラーメンの元祖として知られています。戦後間もなく屋台から始まり、創成川通沿いに店を構えて70年以上。早ければ昼過ぎにはスープが売り切れてしまうほど、昔から変わらぬ味の人気は衰えていません。
札幌市中央区の二条市場にあるラーメン店「だるま軒」(石川崇子撮影)

札幌市中央区の二条市場にあるラーメン店「だるま軒」

麺が無くなり次第終了。電話011・251・8224。
「うちの名物、醤油(しょうゆ)ラーメンです」。カウンターに置かれたどんぶりから、白い湯気が上がり、そこからほのかなしょうゆの香りがします。
 「不動の一番人気」という醤油ラーメン(900円)。麺には独特のコシがあって甘く、ほんのりと油が浮いたスープは、くどくなく、思わず全部飲み干してしまいます。こくがないように見えて、最後まで飽きない味がくせになります。
 店を切り盛りするのは、4代目店主の加納哲也さん(55)と妻のゆかりさん(56)です。昔から変わらないスープは、哲也さんが毎朝7時から鶏肉や豚骨、北海道産のタマネギ、コンブを入れて煮込みます。スープとは別に、毎日じっくり火を通して作るのが、しょうゆ、ショウガ、ニンニクを入れたたれ。これをどんぶりで合わせます。
チャーシュー、メンマ、ネギ、のり、だて巻きがのった創業以来変わらないラーメン

チャーシュー、メンマ、ネギ、のり、だて巻きがのった創業以来変わらないラーメン

 チャーシュー、メンマ、ネギ、のり、そして正月料理に使うだて巻きという具も、長年変わりません。なぜだて巻きなのか。哲也さんは「縁起がいいからかもしれません」と語りますが、代々続くだて巻きの、はっきりとした理由は分からないそうです。

4代目店主の加納哲也さん

4代目店主の加納哲也さん

 だるま軒のもう一つの大きなこだわりは、自家製麺にあります。店の地下には製麺室があり、60年以上前から使い続けているという製麺機で、小麦粉とかん水を材料に麺を作ります。

 「よその麺はうちのスープと合わない。この機械がないと、うちの味は提供できない」と哲也さん。麺は、その日の気温や湿度に合わせて水分量を調整していて、決まったレシピはありません。「うまくいったと思えるのは年に5回ほど。作った時は最高の出来と思っても、3、4日寝かせると、どこかしら納得できないことばかり。一生勉強、ずっと修行です」と語ります。

多くの札幌市民がこよなく愛しています。二条市場で働き、週3回ほど、40年近くも通っているという三上和馬さん(58)は「シンプルなのがいい。他の店に浮気せず、だるま軒一筋だよ」と笑顔で語り、勢いよく麺をすすりました。
 醤油ラーメンのほか、ニンニクやタマネギなど約10種類の具材と煮込んだみそを使ったみそラーメン(950円)や、ゆかりさんが作るカレーライス(900円)、醤油ラーメンと小さいカレーライスの定番セット(1100円)など、メニューは10種類ほどあります。カレーライスが売り切れていると帰る客もいるほど、根強いカレーファンもいるそうです。

 店内16席のだるま軒は「麺・スープがなくなり次第営業終了」が基本です。それは「2人でお店を回すには、自家製麺と毎日仕込むスープが1日50食が限度」(ゆかりさん)というのが理由で、早い日だと、午後1時前にスープがなくなってしまうこともあるそうです。

 有田焼のどんぶりも昔から変わりません。店のトレードマークでもあるだるまの絵が、出されたばかりのどんぶりのスープから少し顔を出します。年季が入って、だるまの目や顔がはげたどんぶりもあるのが、この店の歴史を物語っているようにも感じます。
店内に飾られている1950年代のだるま軒の写真

店内に飾られている1950年代のだるま軒の写真

 だるま軒の始まりは、1947年に初代の西山仙治さん(故人)が狸小路商店街周辺で始めた屋台でした。札幌でラーメンが人気になったのは、終戦直後の1946年あたりから。その当時は屋台が主流で、だるま軒は「龍鳳」「味の三平」と並んで人気を誇りました。だるま軒は1949年に現在の場所に店を構えましたが、店前にかかったのれんにも「札幌ラーメンの元祖」と堂々と書かれています。

 長い歴史の中で、だるま軒の手作り麺は世界中に広がりました。初代の西山さんが作っていた麺はどんどん人気を高め、他店でも使われていきます。1953年には、製麺部門が独立。札幌ラーメンの代名詞であるちぢれ麺を開発した道内製麺大手の「西山製麺」(札幌)になりました。
 西山製麺の麺を使う店は世界中に拡散していて、米首都ワシントンでは西山製麺を使った「大鍋屋(DAIKAYA)」が人気を集めています。米ニューヨークやスイス・ジュネーブのラーメン店でも使用されています。
ワシントンDCで人気を集めているDAIKAYA(同店公式ホームページから)

ワシントンDCで人気を集めているDAIKAYA(同店公式ホームページから

 4代目店主の哲也さんが、だるま軒で働き始めたのは約40年前でした。哲也さんが働いていたコンビニエンスストアに、客として通ってきていた2代目の大森久蔵さん(故人)が、「うちで働いてみないか」と声をかけたのがきっかけでした。初めは麺づくりを手伝っていましたが、3カ月ほどで接客も任されるようになりました。当初は午前11時から午後6時まで開店。従業員5人ほどで、多い日には今の約10倍、1日550食を提供していたそうです。「夏は店に入ってきたハエもすぐに外へ逃げ帰るほど暑いし、毎年『今年こそ店を辞めてやろう』と思っていました。でも、顔見知りの客がおいしそうに食べてくれ、楽しいからここまで続けてこられたんです」と懐かしそうに振り返ります。

店主の加納哲也さんと妻のゆかりさん

店主の加納哲也さんと妻のゆかりさん

 4代目の店主になった2012年8月以来、ゆかりさんと二人三脚で歩んできた11年間。2020年に本格化したコロナ禍で、近隣の会社が自宅勤務になり、観光客も二条市場から姿を消し、客がほとんど入らない時も経験したといいます。
 「朝早くなら通える」という客の声を受け、営業時間を3時間前倒しして午前8時からにしたことも。今は少しずつ客足が戻りつつありますが、コロナ禍前の売り上げには戻っていないといいます。そこへ物価高騰が追い打ちをかけ、メンマの仕入れ値はこの1年足らずで2倍に。小麦やラードなど、ラーメンに欠かせない材料も軒並み高騰しています。
 哲也さんが働き始めた当時、450円だった醤油ラーメン。時代とともに価格は上がり、昨年12月には物価高騰の影響で100円値上げして900円にせざるを得なくなりました。千円札を置いて、おつりをもらおうとしない客、「値上げしないと店がつぶれるよ」と声をかけてくれる客……。「そんなお客さんが本当にありがたくて」。哲也さんとゆかりさんはそう語って目を潤ませます。

 

 「本日もありがとうございました。終了しました」「おはようございます。今朝の気温は身にしみる~」。営業開始や終了の時間を分かりやすく発信したいと、ゆかりさんはほぼ毎日、ツイッターを更新しています。

 店に通う客の中には、初めてラーメンを食べたところがだるま軒だという人や、親子3代で代々通い続けているという人もいます。「人生の最後に食べたい」という人のため、スープを病院に届けたこともあるそうです。
 哲也さんは「来てくれるお客さん一人一人に思い出があるんです。よぼよぼになって立てなくなるまで、ずっとお店を続けたい」。ゆかりさんは「支えてくれたお客さんをこれからも大切にしたい」。元祖札幌ラーメンの味は、これからも二条市場の一角で、多くの客の舌をうならせ続けていきます。
(参考:北海道新聞Dセレクト)
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