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恵庭市恵み野にある北海道エコ・動物自然専門学校のキャンパス内に非公開の特別な場所があります。その名は「野生生物生息域外保全センター」。野生の動植物を守るための研究に特化した国内唯一の施設です。

鮮やかな緑色の体と長い尻尾が特徴のミヤコカナヘビ。
宮古諸島のみに生息する絶滅危惧種
個体数の減少が進む生物を飼育下で繁殖させ、野生へ戻すために奮闘する施設の紹介です。

看板が架かったセンターの入り口
赤いれんが造りの校舎に入ると、センター代表理事の本田直也さん(48)が出迎えてくれました。最初に見学したのは「亜熱帯研究室」です。

飼育ケースが並ぶ亜熱帯研究室
部屋に入ると、ムワっとした生暖かい空気を感じます。その直後、壁一面に並ぶ飼育ケースが目に飛び込んできました。のぞき込んでみると、細長い尻尾を持ったトカゲのような生き物が、枝の上からこちらに顔を向けています。

センターで飼育されているカナヘビ
「ミヤコカナヘビです。沖縄の宮古諸島の固有種で、絶滅危惧種なんですよ」。本田さんがすぐさま教えてくれます。
ミヤコカナヘビは体長20~30センチほどのは虫類です。体の7割ほどを尻尾が占め、体
色は鮮やかな美しい緑色です。生息地の開発や農薬散布、イタチなどの外来種による捕食、
ペット目的での乱獲などで個体数が減少。2016年に国内希少野生動植物種に指定されまし
た。
密輸から保護されたカメも
センターでは25年1月時点で、ケース16箱に約200匹を飼育しています。本田さんは「最近は1カ月で卵が100個くらい生まれるペース。順調に繁殖しています」と言います。

ケージで飼育されているモズ。希少化している「アカモズ」の繁殖方法を探るため、
近縁種のモズで研究を進めている
次に訪れたのはひんやりとした空気が広がる「亜寒帯研究室」です。大きなケージの中で「ギチギチギチ」とさえずっているのはモズです。本田さんによると、国内では北海道や長野県で繁殖するアカモズの個体数が、近年急激に減少しているそう。近縁種であるモズの生態を研究することで、アカモズの繁殖技術の確立を目指していると言います。

国内では限られた湿地のみに生息しているキタサンショウウオ。
上士幌町で採られた卵がセンターでふ化した
机に並ぶプラケースでは、体長5センチほどのキタサンショウウオの赤ちゃんが飼育さ
れています。十勝管内上士幌町で採取された卵がセンターでふ化し、順調に成長しています。
れています。十勝管内上士幌町で採取された卵がセンターでふ化し、順調に成長しています。
国内では釧路湿原や上士幌町の一部など、限られた湿地のみに生息する希少種です。卵のうは光に当たると青白く輝くことから「湿原のサファイア」と呼ばれていますが、生息域が狭く、絶滅の危険性が高いとされています。

動物の世話をする本田さん。不足分の運営費は自費でまかなっている
センターは24年12月、同種の保全に力を入れる上士幌町と連携協定を結びました。
センターで個体を繁殖・成長させながら、町内で新たに暮らしていける生息地を見つけるために協力しています。
センターで個体を繁殖・成長させながら、町内で新たに暮らしていける生息地を見つけるために協力しています。

体長5~6センチのオオアシトガリネズミ。生態には謎が多く、
飼育下での繁殖は難しいという
別のプラケースでは体長5~6センチのオオアシトガリネズミが、とがった鼻先をヒクヒクさせながらせわしなく動き回っています。「熱帯研究室」も蒸し暑く、密輸から保護されたセレベスリクガメが、あくびをしながら穏やかな時間を過ごしていました。
25年1月現在、センターでは約30種650個体の生き物を飼育しています。いずれも絶滅の危険度が高く、生息地ではない安全な施設内で増やす「生息域外保全」が必要とされる動物です。

専門学校の旧校舎を活用したセンター
具体的には、環境省が繁殖や生息地整備といった「保護増殖事業計画」を定めている希少生物が中心です。動物園や水族館、大学などで研究飼育されている種や、密輸で押収された個体など、さまざまな背景があります。
センターでは①小型種である②国内種である③国外種であれば海外に連携できる機関が存在する④野生に帰すことの現実性がある―などの条件を満たす種は、全て受け入れています。これらの生き物の数を増やして本来の生息地へ帰す方法を探りつつ、飼育下でその生き物の生態について研究し、学術的な知見を増やしていくことが、センターの役割です。

センター代表理事の本田直也さん
センターは一般社団法人として本田さんが22年11月に設立し、23年9月から本格的な動物の受け入れを始めました。本田さんは札幌市円山動物園の元飼育員で、爬虫(はちゅう)類や両生類を中心に30年近く飼育や繁殖を担当してきました。
幼いころから「動物が好きと言うより、飼育への興味が強かった」という本田さん。飼育員の仕事にやりがいを感じる一方で、「種の保全」について考えると、動物園に限界を感じたと言います。
日本の動物園や水族館の多くは税金で運営されているため、保全事業への参画について独自の方針決定が難しく、資金の使い道も制限されます。本田さんは多種多様な生き物の保全に素早く対応するため、保全に特化した新しい枠組みの施設が必要だと考えるようになりました。
そのまま動物園に残るか、飛び出して新たな挑戦を始めるか。悩んだ末、選んだのは後者でした。「これまで動物たちに食べさせてもらってきた。自分の技術が保全に貢献できるのなら、次は自分が動物たちに恩を返す番だ」。22年春に同園を退職しました。

チョウなどの高山生物を飼育するための部屋
開設場所を探していた時、動物園時代の元同僚だった同専門学校職員から「古い校舎が空いたので、やらないか」と連絡を受けました。新千歳空港に近い恵庭は、動物の輸送や緊急の受け入れがしやすい利点があります。学校法人と連携協定を結ぶことで、建物の改修費や光熱費などもクリアできることから、恵庭での開設を決めました。
各部屋の設計は、飼育環境デザインのプロでもある本田さんが担当。パイプなどに冷温水を流して気温や湿度をコントロールする「放射冷暖房システム」を取り入れ、高山帯から熱帯まで、個々の動物の生育に必要な条件を再現できる空間にしました。空調を使わずに適切な室内環境を整えられるのは、北海道のような寒冷地建築特有の優れた断熱性・密閉性があってこそだそうです。

室内は空調を使わず、パイプに冷温水を流して温度や湿度をコントロールしている
専門学校の学生が飼育に参加していることも、この施設の特徴です。同校動物医療飼育学科(4年制)で「保全コース」に進んだ学生は、3年生からセンター所属の「学生研究員」となり、支給される青い制服に袖を通します。実習として生き物の飼育を担当し、その過程で対象を決め、学校の授業と合わせて研究を深めていきます。

専門学校の学生たちも「研究員」として動物を世話している
学生は飼育の現場で生き物と向き合いながら、実践的な研究に取り組める一方、センター側も事業に必要な人員を確保できる「ウィンウィン」の仕組みです。将来、保全の現場の最前線で活躍する人材を育てるという社会的な意義もあります。
現在の学生研究員は、4年生1人と3年生4人。トガリネズミの飼育を担当している3年の葛西陸穏(りおん)さん(20)は「生態に謎が多いこの小さな生き物と向き合い、累代飼育を成功させたい」と意欲を燃やします。
本田さんによると、保全事業は基本的に収益性がなく、民間の立場で安定・継続的に取り組むことは難しい状況にあります。 センターでは建物の維持管理を学校法人が担い、運営費の大部分は環境省の交付金でまかなっていますが、不足分は本田さんが自費でカバー。動物園の展示デザインコンサルティングなどの仕事で得た収入を投じ、捻出しているのが現状です。
活動の原動力は、飼育と保全に長年携わってきたからこその純粋な使命感。「本当は、こういう施設が必要ないような状態がいいんですけどね。でも人間が暮らしていく以上は、今後も生物の絶滅の危機はどうしても起きてくる。生き物を危機に追いやるのが人間なら、保全も人間にしかできないんですよ」

センターで飼育されているニホンザリガニ
施設がある恵庭は、市民発祥のガーデニング文化が根付き、「花のまち」として知られています。本田さんはセンターが地域に認められ、恵庭が「保全のまち」としても親しまれていくことを願っています。
「生態系はみんなが生きていく上で必要なものだし、人間だって生態系の一部。みんなで守っていかないといけない。いろんな人の理解や協力を得て、活動を続けていきたいです」。本田さんの挑戦は始まったばかりです。
法人はさまざまな形での支援や寄付を募っています。詳細は野生生物生息域外保全センターのホームページへ。
(参考:北海道新聞有料記事)
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