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なまらあちこち北海道|ファイターズOB・田中幸、岩本、田中賢はどう見る?

スポーツ

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3月30日からプロ野球・日本ハムのゲームが始まりました。
世界一と言われるエスコンフィールドでどんな戦い方をすれば良いか、3人に聞いてみました。

日本ハム新球場 OB田中幸、岩本、田中賢の3氏はどう見る

左から田中幸雄さん、岩本勉さん、田中賢介さん
左から田中幸雄さん、岩本勉さん、田中賢介さん
 道内外の野球ファンが待ち望んできたプロ野球北海道日本ハムの「北海道ボールパークFビレッジ」(BP、北広島市)が30日、開業して本格的なペナントレースが始まりました。
 中核となる「エスコンフィールド北海道」は「世界がまだ見ぬボールパーク」をコンセプトにした新球場。「天然芝がプレーを変える」「本塁打も出やすい」―。開幕戦を控え、日ハム戦士OB3人が実際に見て感じたその特徴について語ってもらいました。

天然芝、内野守備は要注意 田中幸雄さん

 日本ハム一筋22年間で通算2千安打を放ち、名球会入りした田中幸雄さん(55)は、新球場のバックネット裏からグラウンドを見つめ「天然芝がすごく奇麗で、素晴らしい造りだ」と語り、笑顔を見せました。

 プロ3年目だった1988年に、日本初のドーム球場である東京ドームが開業、日本ハムは後楽園球場から本拠地を移しました。エスコンフィールドの第一印象は当時初めて東京ドームに足を踏み入れた時の感動に似ているといいます。

 「今までの日本の野球場とは全く違う形の造りで、すごく新鮮」と強調した上で「自分も現役時代、この球場でプレーしてみたかったなと考えてしまう」と感慨に浸っていました。

 強肩強打の遊撃手として活躍した「ミスターファイターズ」は、新球場の特徴が内野守備に与える影響を語ります。内野ゴロを捕って一塁へワンバウンドで送球する際、天然芝のため送球の勢いが弱まります。「だから、札幌ドーム時代より強く投げないといけない。バウンドが高く弾まないから、一塁手が捕球しやすいよう、上から角度を付けて投げることが大事」と後輩たちにアドバイスしています。
 球団にとっては、前身の東急、東映時代の53~61年に本拠地とした「駒沢野球場」(現・駒沢オリンピック公園)以来となる自前球場。田中さんは、自前の球場を持つことで選手個人やチームのレベル向上につながるとみています。
「新庄監督や選手たちが練習したい時に使えるメリットは大きい。作戦の幅も広がるだろう」と伝えていました。

ベンチ見えず投げやすい 岩本勉さん

 岩本勉さん(51)は、14日のオープン戦・西武戦で新球場に初めて足を踏み入れました。心地よいにおいがし、ああ、天然芝の香りだと気付いたと言います。
「芝生の上でプレーするのは野球選手の憧れ。子供のころはだいたい土のグラウンド。夢の球場ですよ。選手がうらやましい」

 元投手の立場で新球場のマウンドに立った自分を想像してみます。本塁からバックネットまでの距離が近い。一、三塁側のベンチが札幌ドームより外野側にある。「目標物(バックネット)が近いと投げやすい。ベンチが目に入らないのも投球に集中できていいと思います」

 これまで解説・評論などの仕事を通し、野球やファイターズの魅力を愛情たっぷりに伝え続け、新球場建設にも「携わった」と思えるほど親身になって球団にアイデアを伝えてきました。目線は常に「ファンはどうすれば楽しめるか」です。

 例えば、新球場はブルペンが外野にあり、観客は投手が投げ込む姿が間近に見られます。それは、札幌ドーム時代から岩本さんが球団に伝えていた案でもありました。
 1990年に日本ハムに入団。2004年の北海道移転前から選手会長として北海道を訪れてはスーパーで拡声器を握り、ファン獲得に汗をかいた思いがあります。「ハム屋さん?」と勘違いしていた道民もいたというファイターズが、いまや満員の新球場で歓声を浴びているのです。
 「北海道の方々のおかげで、球団は新球場を造れるほど強い組織になった。これからもぜひ、一緒に歩んでください。戦ってください」。ファンに届けたい思いです。

打者が有利、面白くなる 田中賢介さん

 「札幌ドームと比べてバッターが有利。5点差をひっくり返すことも可能で、野球としては非常に面白くなる」。日本ハムで二塁守備の名手として活躍し、2019年に現役を退いた、球団のスペシャルアドバイザー田中賢介さん(41)は新球場に期待を寄せている一人です。

 外野フェンスは大部分が高さ2・8メートルと、12球団の本拠地で最も高いとされた札幌ドームの半分。国内外で主流の打者有利の本塁打が出やすい球場「バッターズパーク」となり、「野球が変わるだろう」と話しています。
 自前の球場を持つ意義も強調します。田中さんは2000年に日本ハムに入団。当時本拠地だった東京ドームは巨人と共用していました。「第1ロッカーを巨人、第2ロッカーを日ハムが使っていました。どうしても2番目という感じが拭い切れなかったです」
 チームは04年の北海道移転後、地域密着を掲げ、16年には観客動員数が200万人を突破しました。ただ「札幌ドームでできることには限界もあった」といいます。
 新球場ではイベントの企画がより自由にできます。球団として「もう一段階進化するために必要だった。ファンや地域の人とつくりあげていく、この先が本当に重要」と力を込めています。
 お気に入りの場所があります。バックスクリーン近くにある、球団初代オーナーの故大社義規氏が描かれた壁画です。大社氏の周囲には新旧のユニホームを身につけた子どもたちの姿も見られます。

 田中さんは「球場にはいろいろな人の思いが込められている。大社さんがいなかったら日ハムも、この球場も当然なかった」と語っていました。

(参考:北海道新聞ニュースエディター、ファイターズ公式HP)

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