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ヒグマの「背こすり」映像が捉えたその生態
あなたはヒグマの生息数って、どういう方法で調べるか知っていますか?
5月中旬、酪農学園大の佐藤喜和教授(51)=野生動物生態学=の研究室が長年行っている札幌市内の生息数調査に同行すると、クマの習性を巧みに利用していることが分かりました。
南区の国有林へ
5ア月のある日午前7時、佐藤教授と学生2人のチームと札幌市南区定山渓の温泉街で待ち合わせし、車で近くの林道に向かいました。国有林のため事前に許可を得てゲートの鍵を開け、林道を通って奥へと進みます。しばらく進むと、前を行く佐藤教授の四輪駆動車が停止しました。「雪がまだ残っているので、ここからは歩いて行きます」
佐藤教授の研究室は2014年から札幌市近郊の山林でヒグマの生息数調査を始め、16年からは今回のような奥山でも調査するようになりました。これまでの調査で百数十頭を確認し、年々、緩やかに増加しているということです。
佐藤教授は「市街地のすぐ近くで複数頭のクマが繁殖していることも分かっています」とも述べ、奥山は主に大型の雄が暮らし、市街地近くは子連れの雌グマや比較的若い雄が多いと分析しています。
今回の調査に参加したのは酪農学園大4年の大久保瑛美さん(25)と、同大学院修士課程2年の酒井優太さん(23)です。研究室は十勝管内浦幌町でも調査しており、2人は「浦幌ヒグマ調査会」と刺しゅうがしてあるえんじ色のそろいの作業服を着ていました。もしものためのクマ撃退スプレーもそれぞれ腰に1本ずつぶら下げています。
雪道を歩くこと約10分、衛星利用測位システム(GPS)で位置を確認していた大久保さんが「ここから直線距離で700メートルちょっとです」と最初の目的地に近づいたことを教えてくれました。冷静な酒井さんが「今年は大雪だったので、例年より雪が林道に残っていますね」と返します。
雪上にはヒグマの足跡
さらに10分を歩き、最初の目的地に到着すると、佐藤教授が雪上を指し示しました。「ちょっと古いけどヒグマの足跡です」。雪が溶けて輪郭はぼんやりしているが、指の跡もくっきり残っており、緊張感が増します。
目的地には立ち木の横に高さ約1・5メートル、直径15センチほどの杭が打ち込まれています。カラマツ材だといい、近づいて見ると、有刺鉄線が巻き付けてあるのです。クマの毛を採取する道具「ヘア(毛)トラップ(捕まえる)」です。杭に有刺鉄線を巻いただけの道具にクマは本当に近づいてくるのでしょうか。
「クマは森の中で臭いによるコミュニケーションを取っており、立ち木に背中などをこすりつけ、自分の臭いを付けるマーキングの習性があるんです」。佐藤教授はこう解説してくれました。
「背こすり」と呼ぶそうで、成獣だけでなく、子グマも行うそうです。繁殖期のパートナー探しなどさまざまな意味があるとみられています。
「背こすり」の習性を利用
マーキングする対象は主に他のクマの臭いがついた立木だといいます。さらにチェーンソーの油がついていたり、伐採のためにカラースプレーで印をつけていたりするなど、変わった臭いの付いた木にも好んで背こすりするということでした。
こうした習性を生かしたのがヘアトラップで、あらかじめ臭いのある防腐剤を染み込ませているといいます。有刺鉄線は毛を絡め取りやすくするためで、よほど皮膚が強いのでしょう、クマは痛がることなく、気持ちよさそうにくいに背中をこすりつけるそうです。有刺鉄線はヘアトラップだけでなく、その周囲の地面の上50センチほどの高さにもはわせてあります。クマがまたいだり、子グマがくぐったりした際に毛が取れるようにするためです。
毛をDNA解析
佐藤教授の研究室は、採取した毛をDNA解析することによって個体を識別し、生息数を推測しています。血縁関係も分かるので、市内に生息するヒグマたちの家族像を明らかにする研究にも取り組んでいるとのことでした。
さらにヘアトラップの近くの立木には、動く物体に反応する自動撮影カメラも取り付け、クマの様子を撮影しています。その動画からクマの大きさや性別、身体的特徴、連れている子グマの数を把握し、DNA情報による個体識別と組み合わせてクマの繁殖状況や栄養状態も調べているそうです。
札幌市内には定山渓の奥山や市街地近郊の山中などヘアトラップを50カ所に設置しているといい、この日は設置済みのヘアトラップの状況を確認し、冬の間は取り外していた自動撮影カメラを再設置する作業を進めました。カメラを設置するのが酒井さんの役目で、杭から8~9メートル離れた立木にカメラを手際よくくくり付けていきます。
カメラ映像で雌雄判別
映ったクマの体長を計測するため、ヘアトラップのすぐ横に目盛りのついた標識棒を立ててカメラで撮影し、カメラとヘアトラップの距離も測定します。カメラの起動を確認して約20分で作業を終えました。
今後、雪が降るまでの約半年間、毎月設置場所を訪れて映像データや残った毛を回収するとのこと。映像を見ると、立ち上がって背こすりする際、生殖器が確認でき雌雄が判別でき、行動している時間帯も分かるとのことでした。
3カ所目の設置場所を訪れると、大久保さんが有刺鉄線に引っかかっていたクマの毛を見つけました。
「これはこの春付いた毛っぽいですね。取りましょう」
高さ140センチほどの場所に黒っぽい毛が付いていました。長さは5センチぐらいで、少し縮れているが人の頭髪より細そうです。他の個体のDNAが混ざらないよう、ライターの火で先端をあぶったピンセットで毛を採取します。
「全部で30本ぐらい。結構たくさん取れました」
大久保さんが笑顔で封筒に毛を入れ、場所や日時を記録しました。採取を終えたヘアトラップも同様に他の個体のDNAが混ざらないようバーナーで残った毛を燃やしきることが必要です。
大久保さんは仙台市出身。体力的にきついフィールドワークですが
「おしゃべりしながら山の中を歩くのは楽しいですよ。まだ山でヒグマと出会ったことがないですが怖さは常にあります」
と話します。ただ、新型コロナウイルスの影響でこうした調査活動も昨年までは中止が相次いだ分、現場に行ける喜びを感じるということでした。
5カ所目では酒井さんが地面に黒っぽい物を見つけました。木の枝で中を探った酒井さんは臭いもかぎます。
「食べているのは草本類。小さいけど、クマっぽい臭いがします」
と笑顔で言います。採取して冷凍保存し、今後内容物を分析して何をどれぐらい食べているかを調べるということです。毛に加え、ふんもクマの生態を知る上で、貴重な資料となります。
酒井さんは札幌市厚別区の出身で、雄グマによる子グマ殺しを修士論文のテーマにする計画だそうです。子グマを連れた雌グマは交尾しないため、雄グマは自らの子孫を残すため、雌が連れた子グマを殺すことがあるとされています。
酒井さんは残されたカメラ映像で雌が連れている子グマの数が減っていないか、雌が雄と一緒に行動していないかなどを調べ、「映像から子グマ殺しの実態や頻度を推測したい」と話しています。
林道には倒木も多く、撤去しながら進むのに時間をとられたため、7時間かけて約25キロを移動したところでこの日は時間切れになりました。当初は9カ所の状況確認を予定していたましたが、7カ所で終わりました。
クマがダンス?
記者も19、20年に現地で撮影された映像を見せてもらいました。山の中で夢中になって背こすりする様子は、とてもコミカルで、踊っているようにも見えます。
では、その貴重な記録動画をご覧ください。
佐藤教授らは札幌のほか、浦幌町にも100カ所にヘアトラップを設置しています。それぞれの映像を比較すると、浦幌町では人目を避けて夕方から夜にかけて行動するクマが多いのに比べ、札幌の市街地周辺の山林では明るい昼間にも行動している個体が多いということです。
佐藤教授は「浦幌町ではハンターが狩猟や駆除で山に入る機会が多いが、札幌の市街地近くではハンターが山に入ることが少なく、警戒心が薄れているのかもしれません。人慣れしている影響もあるかもしれない」と話していました。
そういえば、札幌市内ではクマの出没が増えているという印象があります。佐藤教授たちの活動が、人間とクマの共存に寄与できることを期待したいと願っています。
(参考:北海道新聞電子版、札幌市HP)
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