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ジンギスカンと言えば、滝川の松尾ジンギスカンが歴史的に有名ですが、実は大正時代に旧・北村でも商品として販売していたことが明らかになりました。岩見沢農業高校生たちが、残されたレシピを忠実に再現しました。
北海道を代表するソウルフード「ジンギスカン」。滝川市や札幌・月寒などで古くから食べられてきたことが知られていますが、2006年に岩見沢市と合併した旧北村にも、ジンギスカンのルーツの一つとも言えそうな、大正時代の肉料理の記録やレシピが残っています。北村でいち早く羊肉料理が広がった謎を追いました。
「羊肉を3ミリの厚さに切り、みりんとしょうゆに浸し置く。七味唐辛子と塩をまぶして、両面を金網で焼く」―。1924年(大正13年)に北村綿羊畜産組合が発行したパンフレット「羊肉料理法」に掲載されたレシピの中の一つ、「羊肉の網焼き」の作り方です。羊肉に事前に味を付ける、現在の「味付きジンギスカン」に似た調理法です。
大正時代は国内の羊の飼育数が少なく、そもそも羊肉を食べる習慣がほとんどありませんでした。どうして北村に羊肉料理のレシピが残っているのでしょうか。
羊肉料理が広まった背景とは
北村の歴史を調べてみましょう。1894年(明治27年)、山梨県出身の北村雄治が移住民を引き連れ、旧岩見沢村狐森(きつねもり)という地域を開墾し、農場を開設しました。
洪水をはじめとした災害、病気などの困難に立ち向かって開拓を続けて自立の機運が高まり、1900年には一帯が岩見沢村から独立し、北村雄治の名字を取って北村と名付けられます。しかしこの3年後、雄治は結核で32歳という若さで亡くなりました。
その後、雄治の意思を継いだのが2人の弟、黽(びん)と謹(きん)です。
このうち、黽は北村の「戸長」(村長)に就き、第1次世界大戦で英国が羊毛の輸出を禁止し、価格が高騰した際に綿羊を買い入れて飼羊組合を結成しました。そして大戦終結後、羊毛価格が下落すると、今度は羊毛の織物「ホームスパン」の生産を国内で初めて行い、大成功を収めます。
ただ綿羊生産が盛んになるにつれて、年老いた羊をどのように扱うかという問題が出てきます。黽は食用にすることを考え、1920年に道内初の「羊食会」を北村で開きました。そして徐々に羊肉を食べる文化を広め、「羊肉料理法」を発行。家庭料理として普及を図りました。
「羊肉料理法」には羊肉の特徴を「肉が軟らかく消化も早い」などと紹介。網焼きのほか、煮込みやスープなど14種類のレシピを載せています。
政府が羊毛自給を目指す「綿羊100万頭計画」を始め、月寒や滝川など全国5カ所に種羊場を開設したのが1918年(大正7年)。まだ飼育方法も確立されていなかった中、この2年後には羊食を広めようとしていた北村の取り組みがいかに早かったかが分かります。
岩見沢市の私設博物館「ジン鍋アートミュージアム」の館長で、ジンギスカンの歴史に詳しい溝口雅明さん(68)によると、このレシピ自体は、戦前の有名な料理研究家で東京女子高等師範学校の教員であった一戸伊勢子さんが考案したものに基づいているようです。
ただ、溝口さんは「この『網焼き』は、後世のジンギスカンにつながるルーツとも言える料理。それを道内でいち早く食べていたのは北村だろう」と言います。
こうした歴史に注目したのが、岩見沢農業高食品科学科の生徒たちです。課題研究の授業の一環で、「肉製品製造専攻班」の2年生4人が、かつて北村で食べられていたこのレシピを再現し「北村ジンギスカン」として売り出そうと挑戦しています。北村の住民にもなかなか知られていない綿羊生産の歴史を広め、地域を盛り上げるために活用するのが狙いです。
肉質については記録がなく不明ですが、当時は良質な毛が取れなくなった大人の羊を食べていたため、商品開発に使う肉は生後1年未満のラムではなく、生後2年以上のマトンにしました。
味は現代のように甘くなく、みりんとしょうゆ、七味唐辛子を使っており、今よりもしょっぱめな味が特徴です。レシピに従って試作を行い、「くせは少ない」「しょっぱめの味。ご飯に合いそう」とおいしく食べられることを確認しました。
生徒が再現した「北村ジンギスカン」は24年8月中旬、北村地区で開かれた「きたむら田舎(かっぺ)フェスティバル」で販売しました。150グラム500円、90食分が約4時間で完売しました。
同班の高橋穂果(ほのか)さん(16)は「とても好評で、地元の人にも応援してもらえた。商品化に向け弾みがついた」と話します。同年9月上旬には、食や農業をテーマに札幌市で開かれたイベントにも出店しました。
4人は今後、「北村ジンギスカン」の味をベースに、岩見沢産のタマネギやリンゴを使い、甘さを足すなどした「岩見沢市ならではのジンギスカン」も開発し、来年度にかけて商品化に取り組んでいきます。同校の松本賢教諭は「高校だけで商品化は難しいので、市内の企業と協力できるかどうかが鍵。ふるさと納税の返礼品とすることや、飲食店での提供も模索していく」と話します。
班長の高橋杏葉(あずは)さん(16)はこう力を込めます。「北村の歴史と合わせて市内外に発信し、岩見沢のジンギスカンを全国で有名にしたい」
(北海道新聞デジタル発)
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