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なまらあちこち北海道|札幌出身の女子サッカー・熊谷紗希主将、目指すは金

スポーツ

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パリオリンピックに出場するサッカー女子日本代表を引っ張るのは札幌出身の熊谷紗希主将。女子サッカーの未来のためにも必ず金メダルを、と決意を見せている。

<パリ五輪>サッカー女子・熊谷紗希主将 栄光と挫折 なでしこの未来へ目指すは「金」

 パリ五輪に出場するサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」は25日(日本時間26日)、フランス西部ナントで五輪1次リーグ初戦のスペイン戦を迎える。チームを引っ張るのは札幌出身の熊谷紗希主将(33)。
 20歳でワールドカップ(W杯)を制したが、その後は国際大会の優勝から遠ざかり、女子サッカーの人気低迷を肌で感じてきた。「女子サッカーの未来のためには結果がすべて。必ず金メダルを取る」。いまだ成し遂げていない五輪の頂点へ、準備は整った。
7月13日に金沢で行われたガーナ女子代表との国際親善試合で攻め上がる熊谷選手=金田翔撮影

7月13日に金沢で行われたガーナ女子代表との
国際親善試合で攻め上がる熊谷選手

 「チームの雰囲気はいい。ここからコンディションを上げていく」。7月13日に金沢市で行われたガーナ代表との親善試合後、熊谷選手は五輪初戦へ向けて気を引き締めた。
 なでしこの一員として、栄光と挫折を経験してきた。高校2年の2008年3月に日本代表デビュー。11年ドイツW杯で不動のセンターバックとして初優勝に貢献し、15年W杯は準優勝した。名実ともに、世界の女子サッカー界の中心にいた。
パリ五輪への意気込みを語った熊谷選手=2024年6月26日、千葉市(金田翔撮影)

パリ五輪への意気込みを語った熊谷選手

 だが、そこから「打倒なでしこ」でレベルアップする各国に苦しめられた。熊谷選手がチームの中心となった16年リオデジャネイロ五輪は想定外のアジア予選敗退。「今の実力のままでは世界で勝てない…」と心を折られた。
 主将として初めて臨んだ19年フランスW杯は16強止まり。21年東京五輪、23年W杯はいずれもベスト8で敗退した。チームの現状に合わせるようにテレビ放映がなくなり、国内リーグの観客数は減少。女子サッカー熱は消えた。
 責任感の強い熊谷選手はいつしか、「結果がすべて」と口にするようになった。2月、東京で行われたアジア最終予選。北朝鮮に勝ってパリ五輪出場が決まった直後、珍しく涙を流した。「絶対勝たなきゃいけなかった。ホッとしている」。重圧から解放された瞬間だった。
リラックスした表情で練習に励む熊谷選手=2024年2月7日、東京(金田翔撮影)

リラックスした表情で練習に励む熊谷選手

 パリ五輪に挑むチームの平均年齢は25.11歳(大会開幕時)。10代が2選手いる一方、W杯優勝経験者は熊谷選手ただ1人となった。熊谷選手を主将に任命した池田太監督は、「経験もあり、全ての選手とフラットにコミュニケーションを取れる」と厚い信頼を寄せる。
 チーム最年長の主将が心がけてきたのは、年齢の垣根なくピッチ内外で話しやすい雰囲気をつくること。トレーニングの合間、若い選手に「疲れたよ~。年寄りだからさ」と冗談めかして空気を和ませ、海外遠征のオフ日には後輩と遠出することもしばしばだ。
国際親善試合でニュージーランドに勝利し、タッチを交わす熊谷選手(4)ら=2024年6月3日、ムルシア(共同)

国際親善試合でニュージーランドに勝利し、
タッチを交わす熊谷選手(4)ら

 所属するクラブチーム「ローマ」(イタリア)のチームメートでもある南萌華(25)は「今まで出会ったどのキャプテンよりも親しみやすい。ついていきたくなるようなリーダー」と明かす。
 日本代表の出場回数は、なでしこのレジェンド澤穂希さん、宮間あやさんに次ぐ歴代3位の152試合。代表活動を続けてきた原動力は、「ここでしか返せない悔しさ、見られない景色、一緒に勝ちたい仲間」と言う。悔しさばかり味わってきた後輩たちと、フランスの地でなでしこの新たな未来をつかみ取りに行く。
(参考:北海道新聞デジタル版)

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