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「ブギウギ」でその生涯を紹介された、戦後の人気歌手「笠置シズ子」さんが釧路でも公演を行っていたことが明らかになりました。当時を知る人達の証言です。
ブギの女王・笠置シヅ子さん 釧路の公演「見た」「聞いた」 読者から証言続々
釧路訪れた? 朝のテレビ小説「ブギウギ」モデルの笠置シヅ子 写真・サインあるのに公演記録なしの謎を追う
前回の記事では、竹老園に残る笠置さんが書いたとされるサインと、本行寺の「啄木資料館」が所蔵する、50年に市内で撮影された笠置さんとみられる女性がほほえむ写真を紹介。しかし、来釧を裏付ける公演の記録が見つからず、情報提供を呼び掛けた。
「東京ブギウギを歌う、高くて元気いっぱいの声を覚えています」。浜中町の種市京子さん(89)はそう振り返った。10代半ばのころ、十條製紙(現日本製紙)釧路工場敷地内にあった「娯楽場」の外で、笠置さんの歌に聞きほれた。
娯楽場での公演を、「見た」という人もいた。「超満員で、すごい歓声でした」と話すのは釧路市の松葉憲二さん(90)。「当時、釧路では『お嫁に行くなら製紙工場職員へ』と言われるほど製紙業が伸びた時代で、トップスターを呼べる力があったはず」と続けた。
十條製紙工場三十年史によると、29年(昭和4年)に建築された娯楽場は、2階建てで収容人数1800人。1階には升席や花道もある豪華なホールだった。しかし、45年7月の釧路空襲で機銃掃射を浴び、屋根も壁も穴だらけに。戦後に改修されてからは、「戦争中のうっ積を吹き飛ばすがごとく」演劇やオペラ、バレエの公演が次々と催されたという。
その三十年史に記されていた娯楽場で公演したトップスターたちの中に、笠置さんの名があった。52年と翌53年に公演したと書かれていた。竹老園に残るサインの時期と数年ずれているが、戦後間もない釧路を確かに訪れていた。
「映画館の舞台で歌手が生で歌うことも度々あり、映画館はどこもにぎわっていました」と野村さんは懐かしんだ。
「旧国鉄の集会所で公演する笠置さんの姿を窓からのぞいた。踊るとスカートがふわっと揺れて素敵でした」「市内富士見で笠置さんが映画ロケをしていた」。そんな情報も寄せられた。
その記録は掘り起こせていないが、笠置さんが、戦後間もない釧路を何度か訪れていることは間違いなさそうだ。
取材のきっかけとなった竹老園東家総本店の伊藤真司専務(63)は、「古いサインが、戦後復興期の釧路を思い出すきっかけになったならうれしい」と反響を喜ぶ。
笠置シヅ子さんの来釧に関する情報や記録、写真を募集しています。ココカラのX(旧ツイッター)や、地域面の題字下に記載した報道部の電話やファクスなどにお寄せください。
(参考:北海道新聞メールサービス)
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