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なまらあちこち北海道|朝ドラ「ブギウギ」の笠置シヅ子さんが公演をしていた・釧路市

北海道

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「ブギウギ」でその生涯を紹介された、戦後の人気歌手「笠置シズ子」さんが釧路でも公演を行っていたことが明らかになりました。当時を知る人達の証言です。

ブギの女王・笠置シヅ子さん  釧路の公演「見た」「聞いた」 読者から証言続々

釧路市の知人岬で1950年に撮影された笠置さんとみられる女性(左)。隣は歌人石川啄木と懇意だったことで知られる「小奴」こと故近江ジンさん=本行寺「啄木資料館」所蔵

釧路市の知人岬で1950年に撮影された笠置さんとみられる女性(左)。
隣は歌人石川啄木と懇意だったことで知られる「小奴」こと故近江ジンさん

 「私は見た、ブギの女王」―。戦後の人気歌手故笠置シヅ子さんが、絶頂期の1949年(昭和24年)に釧路の老舗そば店「竹老園東家総本店」で書いたとされるサインを糸口に、笠置さん来釧に関する情報を釧路根室版「ココカラ」(5月29日付)で募ったところ、当時の公演を「見た」「聞いた」という情報が集まった。会場は、製紙工場の娯楽場や繁華街の映画館。ブギに沸いた戦後復興期の市民の姿を、読者が語った。
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 前回の記事では、竹老園に残る笠置さんが書いたとされるサインと、本行寺の「啄木資料館」が所蔵する、50年に市内で撮影された笠置さんとみられる女性がほほえむ写真を紹介。しかし、来釧を裏付ける公演の記録が見つからず、情報提供を呼び掛けた。
 「東京ブギウギを歌う、高くて元気いっぱいの声を覚えています」。浜中町の種市京子さん(89)はそう振り返った。10代半ばのころ、十條製紙(現日本製紙)釧路工場敷地内にあった「娯楽場」の外で、笠置さんの歌に聞きほれた。
旧十条製紙釧路工場敷地内にあった娯楽場。戦後、トップスターが相次いで訪れ、1952、53年には笠置さんも公演したと、工場三十年史に記録されていた

旧十条製紙釧路工場敷地内にあった娯楽場。戦後、トップスターが相次いで訪れ、
1952、53年には笠置さんも公演したと、工場三十年史に記録されていた

 種市さんは、浜中から釧路の親戚宅を訪ねていた時に偶然、笠置さんの公演が娯楽場であると知った。「戦争が終わりやっと、踊りや歌を楽しめるようになったころ。笠置さんの姿をひと目見たかった」。しかし、小遣いでは入場券が買えず、「声だけでも」と場外で耳をすませたという。
 娯楽場での公演を、「見た」という人もいた。「超満員で、すごい歓声でした」と話すのは釧路市の松葉憲二さん(90)。「当時、釧路では『お嫁に行くなら製紙工場職員へ』と言われるほど製紙業が伸びた時代で、トップスターを呼べる力があったはず」と続けた。
 十條製紙工場三十年史によると、29年(昭和4年)に建築された娯楽場は、2階建てで収容人数1800人。1階には升席や花道もある豪華なホールだった。しかし、45年7月の釧路空襲で機銃掃射を浴び、屋根も壁も穴だらけに。戦後に改修されてからは、「戦争中のうっ積を吹き飛ばすがごとく」演劇やオペラ、バレエの公演が次々と催されたという。
 その三十年史に記されていた娯楽場で公演したトップスターたちの中に、笠置さんの名があった。52年と翌53年に公演したと書かれていた。竹老園に残るサインの時期と数年ずれているが、戦後間もない釧路を確かに訪れていた。
 読者からの、笠置さんにまつわる情報はさらに続いた。
 「買い物かごを手に、ステージ中を駆け回って買い物ブギを歌う姿にくぎ付けになりました」。そう語る本間孟子さん(80)=釧路市=は、竹老園のサインや本行寺に残る写真と同じ49~50年ごろ、当時市内末広町にあった映画館「釧路東宝」で笠置さんの公演を見た。
かつて釧路市末広町にあった映画館「釧路東宝」。戦災からの復興期に市民の娯楽の場として親しまれ、複数の読者から「ここで笠置さんの公演を見た」という情報が寄せられた=写真は1960年代はじめ、木村浩章さん提供

かつて釧路市末広町にあった映画館「釧路東宝」。
戦災からの復興期に市民の娯楽の場として親しまれ、複数の読者から
「ここで笠置さんの公演を見た」という情報が寄せられた

 同じころ、野村良子さん(80)=同=も、東宝で笠置さんの公演を見た。東宝があった末広町は、釧路空襲で焼け野原となり復興の途上だったが、市民の娯楽の場として映画館が並んだ。東映、釧路劇場、オデオン座、…と10館近くが密集していたという。
 「映画館の舞台で歌手が生で歌うことも度々あり、映画館はどこもにぎわっていました」と野村さんは懐かしんだ。
 「旧国鉄の集会所で公演する笠置さんの姿を窓からのぞいた。踊るとスカートがふわっと揺れて素敵でした」「市内富士見で笠置さんが映画ロケをしていた」。そんな情報も寄せられた。
 その記録は掘り起こせていないが、笠置さんが、戦後間もない釧路を何度か訪れていることは間違いなさそうだ。
 取材のきっかけとなった竹老園東家総本店の伊藤真司専務(63)は、「古いサインが、戦後復興期の釧路を思い出すきっかけになったならうれしい」と反響を喜ぶ。
 笠置シヅ子さんの来釧に関する情報や記録、写真を募集しています。ココカラのX(旧ツイッター)や、地域面の題字下に記載した報道部の電話やファクスなどにお寄せください。
(参考:北海道新聞メールサービス)

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