北海道の現和寒小6年だった12歳の時にバスケットボールと出会った。小さい時は病弱だったが、「バスケットボールをすれば背が大きくなるぞ」と教諭から誘われて競技を始めた。

戦時中はバスケットボールは「外来スポーツ」として試合などが中止。そんな中でも「体育館のコートでシュート練習をしたりした」と当時を振り返る。札幌師範学校(現北海道教大札幌)在籍中に「学徒出陣」によって、45年4月に仙台陸軍予備士官学校に入校し、同年8月に終戦。「半年訓練して戦地へ送るシステムだった。もう半年あの戦争が長く続いたら、私はこの世にはいなかった」と、しみじみ語る。

札幌師範学校卒業後は体育教師として教壇に立ち、部活動でバスケットボールを指導し、北海道のバスケットボール発展に大きく貢献した。12歳からプレーを続けて、88年間の競技人生を「100点だと思っています」と、胸を張ってコートを去った。【保坂果那】

在間弘(ありま・ひろむ)

1925年(大14)1月19日、北海道和寒町生まれ。現和寒小6年だった12歳からバスケットボールを始める。札幌師範学校卒業後、45年9月に現風連中に体育教師として赴任する。その後、旭川商高などでバスケットボールを指導。家族は妻と2女。158センチ、62キロ。長寿の秘策は「規則正しい生活をすること」。

(参考:日刊スポーツ、YAHOO JAPANニュース)