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なまらあちこち北海道|利尻と佐渡の関係が

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利尻と佐渡、鬼の面交易通じ伝播か

河内神社(上)と、北見冨士神社(下)で保管されている赤鬼と黒鬼の面。見比べると、よく似ている
河内神社(上)と、北見冨士神社(下)で保管されている赤鬼と黒鬼の面。見比べると、よく似ている

 

利尻町内の北見冨士神社と、新潟県佐渡市の河内神社に保管されている赤鬼と黒鬼の面が非常に似ていることが明らかになりました。郷土史家らは渡島管内松前町で作られたものが、日本海側の海上交易を通じて利尻と佐渡に運ばれた可能性が高いとみています。

北見冨士神社の面は1910年(明治43年)、福島大神宮(渡島管内福島町)から持ち込まれたとされています。河内神社のものは北前船で栄えた佐渡市の海沿いの町にある松前(まつさき)神社から、江戸時代後期の1805年(文化2年)に伝わったとされてきていました。

郷土史家らによると、
《1》松前神社がある町には渡島管内松前町へ廻船で行き来する商人がいた
《2》北見冨士神社には松前神楽の一部と松前登城奴が受け継がれている
ということです。このため、いずれの鬼の面も松前町で作られ、海路で利尻と佐渡にそれぞれ伝播したとの見方が有力視されています。

面の類似が判明したきっかけは、佐渡市の郷土史家、打木(うつぎ)正美さんが数年前にテレビ番組で利尻富士町鴛泊の写真家松井久幸さんの作品集「最北紀行」(1986年発刊)を見たことでした。

打木さんが、作品集に収録された北見冨士神社の赤鬼の面を見て、河内神社のものと同じではと気付き、松井さんらと調べたところ、眉毛の太さ、太い鼻筋、丸く膨らむ小鼻、あごの張りなどが共通していました。さらに赤鬼が口を開き、黒鬼は口を閉じて阿吽(あうん)を表現する顔つきがほぼ同じことも判明したのです。

北見冨士神社の例大祭は25日、3年ぶりに行われる。町内巡行は猿田彦大神を先頭に松前登城奴が続き、神輿(みこし)が練り歩く内容です。かつては赤鬼と黒鬼の面をつけた中学生が猿田彦大神の進む道を清める役目を担っていましたが、近年は少子化で参加が見送られ、町民が面を見る機会はあまりないということです。

松前から北の利尻、南の佐渡を結ぶ「海の道」。例大祭で100年以上も受け継がれてきた鬼の面が交流の歴史を物語っているようです。専門家は「道内の日本海側と、佐渡などで似た面がもっと見つかれば、『海の道』を通じた文化交流がもっとはっきりしてくる」と話しています。

(参考:北海道新聞電子版、佐渡芸能HP)

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