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「落語協会」の新会長に柳家さん蕎さんが就任しました。北海道での講演を機に北海道とのつながりを聞きました。どうやら北海道とは縁が深いようです。」
歴代最高齢の落語協会トップ 柳家さん喬さん 浅からぬ縁の北海道は「友だちみたい」
国内に五つある落語家団体のうち最大規模の一般社団法人「落語協会」の新会長に今年6月、歴代最高齢で就任した柳家さん喬さん(76)。弟弟子でもある前会長の柳亭市馬さん(62)からバトンを引き継いだ経緯や、浅からぬ北海道との縁、9月と10月に控えた道内公演などについて、就任直後の7月に岩見沢で落語会を開いた際に聞きました。(文化部 大原智也)
やなぎや・さんきょう1948年、東京都墨田区本所生まれ。本名・稲葉稔。1967年に中央大付属高卒業後、五代目柳家小さんに入門。前座名「小稲」。1972年、二ツ目に昇進して改名し「さん喬」となる。1981年に真打昇進。2013年に芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)、2014年国際交流基金賞。2017年、紫綬褒章。一番弟子の柳家喬太郎をはじめ、根室管内別海町出身の柳家やなぎら弟子は12人。
「寝耳に水」の会長職
――2014年に52歳で歴代最年少の会長になった柳亭市馬さんの後任に、兄弟子であるさん喬さんが最高齢で就任されて驚きました。
「10年前に市馬さんが就任した時は、(前任者の)柳家小三治さん(故人)の指名。(常任理事だった)私は市馬さんを助けるつもりで〝憎まれ役〟をやってきたので、『兄(あに)さんはうるさいね』と思っていたんじゃないかな。支えてきたというのは大げさでも、寄り添っては来たつもり。市馬さんが任期満了になった後、彼や事務局長らが話し合い『 一度元(目上)へ戻したらどうだ』となったようです。
僕は僕なりに次期会長を考えていたから、最初は本当に『寝耳に水』で。『違うんじゃないの』と言ったけど、いろいろ話を聞いて『それもありかな』と思った。(役職を)次の代に任せることは簡単だけど、逆に上の代に戻すのは難しい。物事を冷静に見たり、抑制を利かせたりするのは、目上の人間のほうがいいのかもしれません」
――就任前はコロナ禍で寄席の観客が激減。協会所属の噺家(はなしか)と元弟子のパワハラ裁判(注)もありました。コロナは一段落しましたが、協会の対応はファンから注目されています。
<注> 落語協会所属の60代の落語家からパワハラを受けたなどとして、弟子だった40代の落語家が損害賠償を求めた訴訟。東京地裁の判決が2024年1月にあり、頭をたたくなどした行為をパワハラと認め、「社会的に許容される範囲を逸脱した」として、師匠だった60代落語家に80万円の支払いを命じた。
「正直、僕に何ができるかは模索中。『踏襲よりも改革』と考えていますが、現在の協会は機構的に決して悪くない。例えば広報体制や協会のお祭り『謝楽祭』は、若手や中堅が年配の噺家(はなしか)も巻き込んでうまくやってくれている。その一方で、寄席の数に対して噺家が増え過ぎてしまった。小さい器に無理やり詰め込んでいることで、芸人同士が背を向け合うことがあってはダメで、それは何とかしなければいけない。パワハラに関しては、絶対に暴力はいけません。講習会などいろんな形で対策をしていますが、師弟関係のことが大半で、なかなか口を出せない部分もある。
(寄席だと)前座さんが師匠たちの着物をたたむ時、以前のように先輩が『ちゃんとよ、着物のたたみ方を見てやれ』と指導するとパワハラに当たるかもしれない。でも、『着物のたたみ方がちょっとまずいと思うんだ。だからその辺をさ、よく考慮してね』というような言葉で『前座修業』として教育になるのか。協会自体が過剰に反応すると、少し違う風になってしまう気がしています」
――落語協会の会長といえば、さん喬さんの師匠で20年以上会長を務めた五代目柳家小さんさん(1915~2002年)のイメージが強いですが、当時の師匠の会長職について、どのように見られていましたか。
このあと師匠の小さんさんとの思い出や道内との縁について語っています
「やっぱり落語界の改革を進めた人だと思います。(1978年に)二ツ目を大量に真打昇進させたのは英断で、停滞していた落語界をどう乗り切ればいいかを考えた末のこと。それが原因で六代目三遊亭円生一門が脱退し、協会の分裂騒動が起きてしまいましたが、そのままだったら光が当たらず腐ってしまう噺家が出てきたはず。その光を吸収できるかどうかは個人の問題ですが、決断は間違ってはいなかった。
(東京で)女性の噺家が誕生したのも師匠が会長の頃。容認した時の『うまけりゃいいんだよ』というせりふは忘れません。男女の区別より、うまい噺家、いい噺家、面白い噺家を育てる。そういうことを行った師匠を尊敬しています」
道北、友達の感覚で
――道北方面でも定期的に落語会を開いていますね。
「もう30年近くになるんですよ。きっかけは後輩の(柳家)小ゑんさんが浜頓別(宗谷管内)の方と知り合い、『兄さん、ちょっと顔出してくれる?』って。そっち方面には行ったことなかったからうれしくて。最初は5カ所ぐらいでしたが、今は 2、3カ所。もう商売という気持ちでは行っておらず、友達の感覚で『泊めて』みたいな」
――10年ほど前からは岩見沢など道央の寺も回られていて、今年は7月に3カ所で公演しました。
「こちらは仲良くさせてもらっている上方の露の新治(つゆのしんじ)さんに誘ってもらったことが縁。コロナ禍をはさみ、諸事情で今回は私一人だったんですけど。浜頓別もそうですが、北海道はお寺や神社関係の落語会が多いんですよ」
――道内では師匠との忘れられない思い出があるそうですね。
「そうなんです。あれば50年以上前、前座で初めて北海道にお供した時のこと。羅臼から帯広方面へタクシーで行くことになり、後部座席に長時間並んで乗車したんです。すごく暑い日でしたが、今みたいにエアコンはない。師匠の方が日の当たる席だったから、『替わりましょうか』『じゃあ、替わってくれるかい』って。普通なら停車して入れ替わるんでしょうけど、走行したまま狭い車内を二人で抱き合うようにして入れ替わった(笑い)。今でも思い出します」
――来秋には根室管内別海町出身の弟子で二ツ目の柳家やなぎさんが真打昇進しますし、孫弟子には喬太郎さん門下で札幌出身の前座・柳家おい太さんもいますね。
「やなぎは(真打昇進で)『抜かれ組』になってしまいましたが、自分のやりたいことを追求していて平然としている。牧歌的でおおらかなのが良いところで、『北海道の人間だな』と。芸に関しては、新作で行くのか古典で行くのか、まだ迷っているところがあります。もし〝二刀流〟なら両方とも同じレベルでやれないと。まあ、師匠があれこれ言うべきではないし、言いたくはないので。あいつはすごい汗っかきなんですよ。お客さんは『一生懸命やっているな』って見てくださるかもしれませんが、ただの汗っかきですから(笑い)。最近は北海道出身の噺家も増えていますが、今後は落語界も地域ごとのテリトリーができてくるかもしれませんね」
――道内関係では、この秋に「梅枝(ばいし)」を襲名する桂枝光さんとの交流も長く続いています。9月10日には札幌で二人会がありますね。
「枝光(梅枝)さんが移住してから、北海道でもいろんな形の落語会が増えましたよね。彼がえらいのは自分の会に毎回、東京や大阪からゲストを呼んでいること。正直、金銭的な負担も少なくない。自分もできる範囲でお返ししたいと、6月には東京・三鷹市で襲名披露の会をやりましたし、吉本興業のお披露目が終わった後に、東京の深川江戸資料館で、襲名披露の二人会をやる予定です」
古典の名手 常に挑戦
――さん喬さんは古典の名手というイメージが強いですが、ずっと新作の会もやられているそうですね。70代半ばになっても、挑戦を続けているのはなぜですか。
「八代目桂文楽師匠が言ったように、『噺家は死ぬまで修業』。例えば、エベレストが一番高い山で、それ以上の山は地球にはありませんが、芸には『頂上』というものがない。一方で、うちの師匠は私に『60代を頂点と考えろ。そこに自分のピークを持っていけば、あとはゆっくり(降りて)くる』とも言ってくださった。衰えるのではなく、得られるものがあると。 60代というのは今だと70代かもしれませんね。この間も、何十年もお互いに見つめ合って来た権(ごん)ちゃん(柳家権太楼さん)が『あんちゃんは偉いよ、よく新しい噺をやる気になるよ』って。『いやぁ、俺あんまり噺うまくねえからさ』って言ったんですけどね」
(参考:メールサービス、会員限定記事)
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