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アメリカの記者が大谷翔平選手について、その評価について本を出版しました。その内容に関わる記事です。
米記者が見た大谷翔平 「存在自体が歴史的」
米大リーグ・エンゼルスで投手と打者の二刀流で活躍を続ける大谷翔平選手。ア・リーグ最優秀選手(MVP)を獲得した2021年に続き、22年も投手として15勝、打者で34本塁打の好成績を残しました。
米国のメディアでは、大谷選手はどのように評価されているのでしょうか。11月下旬に来日した、エンゼルスを10年取材している地元紙記者のジェフ・フレッチャーさん(53)にインタビューしました。(東京報道センター 安房翼)
存在そのものが歴史的
「彼(大谷選手)は存在自体が歴史的だ」。こう熱く話すフレッチャーさんは、エンゼルスの本拠地があるオレンジ郡の地元紙「オレンジ・カウンティ・レジスター」の記者です。米大リーグの取材歴は24年で、13年からエンゼルスを担当しています。
大谷選手の18年の入団時から21年までの歩みを紹介した著書「SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男」を今夏、日米で出版。「どうやって圧倒的な成績を出したのか、歴史として残す義務があった」と強調しました。
大谷選手は21年に打者で46本塁打(リーグ3位)、投手で9勝を挙げMVPを獲得しました。その際、「今年の数字は最低限のものだと思っています」と言い切ったことが、フレッチャーさんの著書では周囲の驚きとともに記されています。しかし、22年も34本塁打(同4位)、15勝(同4位)など同等かそれ以上の成績を残しました。
フレッチャーさんは英語版著書のサブタイトルの一部を「the Greatest Baseball Season Ever Played(野球史上最高のシーズン)」としたにもかかわらず、「さらに上を行ったかもしれない」と苦笑い。「21年の基準が最低限だなんてあり得るのかと思ったけど、彼はその言葉を守った。この偉業はたたえられるべきで、もし私にMVPの投票権があれば、大谷に投票した」と話しました。
要因は体力の向上
22年は特に投手成績が伸びたことについて、フレッチャーさんは制球力の向上や、シーズン中に投げるようになったツーシームが効果的だったこと、体力がついたことを要因に挙げます。
「21年は終盤、疲労が色濃く見えていたが、22年は最後に最高のピッチングを見せた。疲れていなかったのだと思う」と言います。
「21年の課題から彼は間違いなく学んでいるし、冬の間の準備で課題を克服した。具体的に何をしたのかは(取材で)何度聞いても答えてもらえなかったけれど、フィールド上のパフォーマンスで答えを示したのです」
日本では、大谷選手が規定投球回と規定打席の両方を同一シーズンで達成したことが注目を集めましたが、フレッチャーさんによると米国ではそれほど重要視されていないようです。
「例えば防御率がとても良い投手がいたとして、規定投球回に少し足りないとしても、その投手の偉業が消えるわけではないというのがアメリカ人の考えです。だから21年は(規定投球回に達しない)130イニングしか投げなくてもMVPだったのです」と解説してくれました。節目となる10勝にも重きが置かれていないと言います。
それよりも、大谷選手についてはベーブ・ルースが二刀流時代の1918年に達成した13勝が節目の数字とみられたようです。エンゼルスは大谷選手の負担を考慮して、中5日以上空けて先発登板させていますが、大リーグでは先発は中4日を基本とする球団も少なくありません。
中4日なら20勝にも届きそうですが、「エンゼルスはそれを無理やりやろうという方向には行っていない。ただ、他球団に移籍した場合、大谷翔平なら中4日でもできるかもしれない」と、さらなる可能性に言及しました。
フレッチャーさんは、エンゼルスが大谷選手の二刀流を認めているのは北海道日本ハムファイターズでの実績があったからこそと指摘します。メジャーを目指す選手たちは、先に投球の才能が開花すれば投手として、打撃の成長が早ければ野手としてマイナーリーグを駆け上がるのが普通です。
このため、もし大谷選手が当初の希望通り高校卒業直後に渡米していたら「メジャーリーガーになるのは間違いないが、投打のどちらかに専念していたはず。二刀流でマイナーからメジャーにたどり着くことはあり得ない」と断言。
その上で「日本ハムが入団交渉で二刀流を約束し、それを守ったから、彼が二刀流で力を伸ばしてメジャーに行くことができた。大谷翔平という選手が二刀流として完成したのは北海道のおかげです」と強調しました。
「一番になるため、全てをささげている」
23年に大谷選手に期待する成績を尋ねたところ「ホームラン40本、打率2割7分5厘、110打点ぐらいを記録してくれたらうれしい。投手としては16勝で、防御率2.50」と挙げてくれました。これまでの実績からすれば、十分可能な数字です。
安定した成績が望める理由について「彼(大谷選手)は、メジャーリーガーの中でも一番になろうとしていて、そのために全てをささげている。いい日があってもさらに上を目指そうとする姿勢が、メジャーリーガーの中でも特別だと思う」と語りました。
一方、エンゼルスは大谷選手以外にもマイク・トラウト選手というスターを擁しながら、14年を最後にプレーオフから遠ざかっています。「メジャーは日本の12球団より多い30球団もあり、(プレーオフ進出のためには)乗り越えなければならない課題は多い。限られた選手の頑張りだけでは不十分。下部組織を強化し、もっと若い選手が出てこなければならない」と指摘します。
大谷選手は10月中旬に帰国した際、「シーズン的にはまだポストシーズン。来年(23年)はなるべく長く試合をできるように頑張りたい」と悔しさも口にしました。
WBC出場「うれしいニュース」
23年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も控えます。大谷選手は22年11月、大会への参加を表明しました。
フレッチャーさんは「エンゼルスの先発としても1番手なので、出場によってシーズンに悪影響が出ないでほしい」と案じつつ、「アメリカでも、出場はうれしいニュースとして捉えられている。彼のプレーを見る機会が増えるし、大会が盛り上がる」と歓迎しています。
大谷選手を巡っては、エンゼルス1年目の18年の開幕直後から書籍化の話があったそうですが、トミー・ジョン手術を受けて打者に専念していた時期もあったため、実現していませんでした。二刀流での活躍に伴い企画が息を吹き返した21年、フレッチャーさんは「本を書くなら、エンゼルスの試合を追い続けている自分が最適任だ」と名乗りを上げました。
シーズン162試合のうち、敵地も含め約130試合を取材して得た膨大な取材メモに加え、日本時代の資料も読み込み、350ページ超の本を完成させました。「チームにもすっかりなじんでいるので、ずっとエンゼルスにいてもらいたい。本の第2弾を書きたい」と“ラブコール”を送っています。
(参考:デジタル発北海道新聞)
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