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富良野市在住の倉本聰さんが脚本を手がけた小樽が舞台の映画「海の沈黙」(若松節朗監督)が11月22日から、道内をはじめ全国の映画館で公開されます。
本木雅弘×小泉今日子 デビュー同期の2人が語る 映画「海の沈黙」のメッセージ
劇場公開映画としては1988年の「海へ 〜See you〜」(蔵原惟繕監督、高倉健主演)以来36年ぶりとなる新作は、贋作(がんさく)事件をきっかけに繰り広げられる人間模様を通して、美とは何か、愛、そして死について問いかける倉本作品の集大成。
ミステリアスな画家・津山竜次を演じた本木雅弘さん、かつての恋人で今は画壇の重鎮の妻・田村安奈役の小泉今日子さんに、作品の見どころや役作りについて聞きました。
小泉今日子さん(左)と本木雅弘さん
映画「海の沈黙」あらすじ
東京で開かれた世界的な画家・田村修三(石坂浩二)の展覧会で贋作事件が発覚する。この絵を描いたのは誰なのか。同じ頃、小樽の港で全身に入れ墨の入った女性の遺体が見つかる。二つの事件をつなぐ重要人物が津山竜次。
若き日に天才画家と称賛されるも、突然姿を消し、北海道で隠とん生活を送りながらキャンバスに向かい、至高の美を追い続ける津山―。本作は昨年夏、小樽で大規模なロケが行われ、港や運河の美しい風景の中で壮大なスケールの人間ドラマが描き出された。
■デビューから42年 キャリア重ね
――お二人は歌手として1982年の同期デビューです。共演はいつ以来ですか。
小泉今日子 1992年にフジテレビ系で放映された「あなただけ見えない」というドラマ以来です。かなり久しぶりですね。
――かつての恋人という設定です。役づくりはどのようにしましたか。
本木雅弘 (恋人だったのは)安奈19歳、竜次22歳の若かりし頃。ただの恋仲ではなく、竜次にとっての安奈は創作意欲をかき立てられる存在だったのかもしれません。それから35年くらいの時間を経て再会を果たすわけです。そこに映し出されたのは単に男女の関係を超えた別の情、それぞれが挑んできたり、乗り越えてきたりした時間に対するある種の祝福など、さまざまな感情が入り交じったシーンだったと思います。
実人生では私たちは同期デビュー、その昔は若さを無邪気に発散させて画面の中に存在していました。芸能界の酸いも甘いも…というところを渡り歩き、キャリアを重ね、還暦を前に映画の役を借りて映り込んでいる生身の自分たち。共有できるものがある小泉さんと同じ画面に存在することはファンのみならず、自分にとっても非常に感慨深いものがあり、きっと映画にもよく作用していると思います。
以降では、映画にかける思いや小樽での思い出などを語っています。
小泉 (安奈は)竜次側の時間と画壇側の時間、その真ん中に立っているのだと思います。過ぎた日、離れていた時間、竜次側の世界で何が起こったかよくわからないけど、何かあったんだろうって疑問を抱いた時間。この人を選んだ人生は間違いじゃないんだって思ったかもしれないし、間違いと思ったかもしれない、みたいな時間。セリフでは全然説明されてないけれど、そういうことが画面に映ればいいな、と心掛けたのが役作りでしょうか。
■アートの価値って何だろう
――脚本を読んでの第一印象は。
本木 映画の宣伝文句にもなっている「美とは何かを世の中に問う」というのは、あまりにもスケールが大きく、解釈次第で深さが変わる話なので、一瞬途方に暮れました。自分は油絵一つ描いたことがなかったので、映画に出てくる作品も含めて協力いただいた岩手県二戸市の画家高田啓介さんのアトリエを訪ね、描き方をレクチャーしていただきました。高田さんは、誰かにこう思われようという作為的なものじゃないものを描かれる方でした。
芝居をする時もそうなんですけど、自分自身は無作為であったり、無防備なところに身を預けるのがすごく苦手。いろいろ考えすぎて、立ち位置とか見え方とかを強く意識してしまう。絵を描く時もいろんな気持ちが邪魔しちゃって、思いのままに描くことがなかなかできなかったですね。
小泉 バンクシーみたいなポップアートをテーマに、アートの価値って何だろう、誰が価値をつけているんだろうと問う映画を作ろうと(私自身が)動いた時期がありました。それは実現しなかったんですけど、(本作の)脚本を読んだ時、(テーマが重なることに)すごく驚いて、「へー、面白い!面白い!」って読んじゃいました。
(倉本)先生が60年以上前に実際にあった事件(注)をずっと書きたかったことと、勝手に自分の思いがリンクして、すごく面白く読みました。10人のうち9人がこっちの方が値段が高いし有名だからいいって言ったとしても、無名だけどこっちが好きって言える人でいたいなって思ってるんで、すごくドンピシャって感じでした。
注:本作のモチーフとなっているのが、「永仁のつぼ事件」と呼ばれる実際にあった古陶器の真贋(しんがん)騒動。1959年に鎌倉時代の傑作として国の重要文化財に指定されたつぼを、現代陶芸家が自作と認めたため、2年後に指定を取り消された。
美に利害があってはならない
――竜次というミステリアスで浮世離れした難しい役を見事に演じきったという印象を受けました。
本木 達成したとか、克服できたという自信はないです。(本作は)倉本先生自身が見聞きしたり、体験されたことがベースにあり、まったく架空の話ではないんです。竜次というキャラクターや彼を献身的に支えた中井貴一さん演じたスイケンという謎の男の関係が、もしかしたら一時代を築いたドラマの脚本家としての倉本先生と、支えたプロデューサーの人たちを重ね合わせていらっしゃるのかもしれないかな、と想像しながら演じました。竜次は世の中の価値観にゆがみがあるんじゃないか、このままでいいのかを問う、一つのレジスタンス(抵抗)を見せる役どころで、それがある種同じ意識を持つスイケンとのつながりでもあると想像しながら演じました。
倉本先生が東大の美学科で学んだというギリシャ哲学者のアリストテレスが美について語る中で、「美に利害関係があってはならない」という一節がすごく気になって。美しいものを求め、それについて考えることは、生きることすべてにつながるから、そこに利害関係があってはならない。それが倉本先生自身の行動原理だと何かで書かれていたので、その辺を想像し重ね合わせようとしていたところはあります。
――命を削って描いた絵は強烈な印象でした。
本木 おそらく、倉本先生の思いは、この映画はあそこでおしまいじゃないということだと思います。人の命には区切りはある。そこに向かってどう始末をつけるか。命が尽きることを知った竜次は世の中に対して、安奈に対して、いろんな思いが残るけれども、一つ始末をつけていく。現状を受け入れて、できることだけに向かっていくことで絵を完成させたが、あれは終着点ではない。最後の心の声で、ようやく少しばかり納得のいく作品が描けたって言うのは、倉本先生自身の声でもあると思います。
全部の作品が遺言
――映画を通じて倉本さんのメッセージをどのように受け止めましたか。
小泉 美とは何か、本物と偽物って何かというテーマを、自分では受け止めました。アート、美術だけじゃなくて、人間やエンターテインメント、いろんなところで。絵も、文学というか言葉を作る人もそうだし、毎回毎回作る作品は遺言に近いのかなって。私たち俳優も今できる全力で一歩一歩、全部遺言のつもりでやってる。倉本先生もそうなんだろうなっていう気がします。
本木 演じることは苦しいです。先生が今回参考にされた、画家の故・中川一政さんのドキュメンタリーを私も見ました。その中で中川さんは「芸術っていうのは生きて脈打っていなければならない」と言う。「心の井戸を掘って掘って、かき出して、かき出して、かき出して、かき出して、かき出して、空になって、そこからようやく泉のように湧いてくるものだ。そこに向かっているのだ」と、壮絶なことをおっしゃる。
自分はちょっと引っ込み思案で、このくらいでいいのかなとか、他人任せなところがあるので、自分の心の井戸をそこまで掘り下げる役を演じきれたとは思えないんです。自分という井戸から何も出てこないけど、カメラの前にいる以上掘り続けるしかない。そういう途方もない気持ちになったんですけれど、演じる姿が中川さんがおっしゃったことに重なればいいという思いはありました。
(参考:北海道新聞Dセレクト)
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