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なまらあちこち北海道|芦別出身・水谷豊さん、舞台への思いを語る

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芦別出身・水谷豊さん(70)「 舞台への思いと北海道の記憶

 テレビドラマ「熱中時代」や「相棒」シリーズなど、常に新鮮な魅力を放つ芦別出身の俳優水谷豊さん。6月16~18日には、久しぶりの舞台出演となる「帰ってきたマイ・ブラザー」(マギー作、小林顕作演出)が札幌・カナモトホール(札幌市民ホール)で上演されます(全4公演完売)。
いつも若々しい印象の水谷さんですが、現在70歳、芸歴はすでに半世紀を超えます。今回の舞台をはじめ、俳優としての覚悟や、7歳まで過ごした道内の思い出などを聞きました。(東京報道 恵本俊文)
舞台「帰ってきたマイ・ブラザー」に出演する水谷豊さん(舞台写真以外、すべて玉田順一撮影)

舞台「帰ってきたマイ・ブラザー」に出演する水谷豊さん

みずたに・ゆたか 1952年、芦別市生まれ。65年に劇団ひまわりに入団、68年にはドラマに初出演。以降、「傷だらけの天使」「熱中時代」「地方記者・立花陽介」「相棒」など、多くのドラマに出演し、人気を博す。近年は映画「TAP THE LAST SHOW」「轢(ひ)き逃げ 最高の最悪な日」「太陽とボレロ」で監督を務めた。79年には「熱中時代・刑事編」の主題歌「カリフォルニア・コネクション」を歌い、大ヒットした。
「帰ってきたマイ・ブラザー」のあらすじ かつて大ヒット曲を放ちながら、あっという間に表舞台から姿を消した兄弟ボーカル・グループ「ブラザー4(フォー)」。今は別々の道を歩む4兄弟(水谷、段田安則、高橋克実、堤真一)だったが、令和の今、なぜか再び脚光を浴びることに。かつてのファン(峯村リエ、池谷のぶえ)や元マネジャー(寺脇康文)も集まって再結成の日を迎えるが、4兄弟は往年の歌声と絆を取り戻せるのか―。

舞台はもう、一生やらない?

――舞台出演は3作目、前作から23年ぶりです。久々の舞台への挑戦を決めたきっかけは。

 「今から3年ほど前、じきに古希、70歳になるんだなと気づいた時に、もう舞台って一生やらないんだろうかと、ふと思ったんです。お芝居は映像(の仕事)は、やっている。ステージとしては、歌も経験がある。舞台はどうだろう、と。何事も、後で『なんでやらなかったんだろう』と思うよりは、やってみようと考えました。やって、失敗するならしてもいいんじゃないか、と。またやりたいと思うか、もういいかなと思うかは、やってみないと分からない」

――俳優としての本格的なスタートは、実は舞台ですね。最初は1966年、劇団雲に客演した「ドン・ジュアン」でした。当時の思い出はありますか。

 「ぼくは中学2年生。山崎努さんが初めて主役をやりました。岸田今日子さんや高橋昌也さん、名古屋章さんがいらして、橋爪功さんも20代半ばで。(製作責任者として)芥川比呂志さんもいらした。そんな中にいて、誰が誰だか分からないんですよ。忘れられない思い出は、よみうりホール(東京)での稽古を終えてトイレに行った時。そこに芥川比呂志さんが入ってきて横に並んだので、ぼくが『おじさん、芥川っていい名前だね』と話しかけたんです。『そう?』『芥川龍之介と関係あるの?』と尋ねると、『うーん、関係ないよ』って。(後で龍之介の長男だと分かり)ぼくは何てことを言ってたんだと。まだ無邪気だったんですね。

 舞台をやってるとか、芝居をやってるとか、というよりも、何か不思議な世界にいるようで楽しかった。もちろん最年少だったので、大人たちの中に入って、遊んでる…とは思わなかったけれど、みんながかわいがってくれた」

――次は2000年に上演された「陽(ひ)のあたる教室」でした。この時はいかがでしたか?

 「ドラマ『相棒』が2時間ドラマとして始まったのが、2000年の6月。その前の、2、3月の舞台だったと思うんです。作曲家の役で、ピアノをどうしても弾かなきゃいけなかった。交響曲やジャズ、ブギウギなど、いろんなジャンルを5、6曲弾かねばならない。子どもたちに教える場面もある。それなのに2カ月しか稽古期間がなくて。もう『相棒』(の撮影)が始まっていて、(初代相棒の)寺脇(康文)がね、『できませんよね、それ』って。

『ぼくも(舞台で)三味線をやったんですが、稽古しても本番になったら震えるし、ちゃんと弾けなくなっちゃう。それぐらい舞台で、お客さんの前で何かを弾くっていうのは大変なことですよ』と言ったのを、強烈に覚えています」

――実際には練習をして、ピアノを弾いたんですよね?

 「弾いたんですよ。自分が作った交響曲を、ババーンと一人で弾くという場面から始まる。初日、弾こうと思ったら手が震えて。どうしよう、弾けない、と金縛りみたいになって。お客さんはシーンとして待ってる。金縛りをふりほどくような気持ちで、やっちゃえ、ダーンと。
その時の気持ちを今も覚えています。ステージで楽器を弾くのは、人にはお勧めできないですね。精神がどっかにいっちゃう感じなので」
過去に出演した舞台を振り返る水谷豊さん

過去に出演した舞台を振り返る水谷豊さん

■4兄弟の長男役、実生活では末っ子

――今回の舞台「帰ってきたマイ・ブラザー」は、演奏ではなく、歌です。水谷さんは昔からよく歌っていますし、歌はお好きでは。

 「歌は、楽しい世界ではありますね。何事も大変じゃないことはありませんが、大変であればあるほど、その先にはそれに見合った楽しさが待っているという感覚はありますね」

――段田安則さん、高橋克実さん、堤真一さんと一緒に歌います。長男の役ですが、実生活では水谷さんは4人きょうだいの末っ子だそうですね。長男を演じてみて、いかがですか。

 「ぼくは長男、長女、次男、三男の4人きょうだいの末っ子です。長男には、どこか逆らえないんですね、無条件で。不思議なもので、不満があってもなかなか口には出せない。ぼくの時代は、ちょっと逆らうと、ガツンと(げんこつが)来ましたから。末っ子が末っ子を演じる方が難しいんじゃないかな、自分のことって分からないし、客観的に見ているのは上(のきょうだい)ですから。

 長男って、仕事が楽だと思いますよ。みんなを呼び捨てにしていいんですから。芝居でも、普段もね。(この舞台では)みんな、よくできた、舞台の経験豊富な弟たちなので、安心してやってますよ」

――「弟たち」一人ずつへの思いを教えてください。まずは段田さんから。

 「これまで、2人で2時間ドラマを5本やったので、気心は知れています。一緒にやっていて楽しいですよ。次男坊って、結構しっかりしてますよね。上を見て、下を見て、ちょうどいいところを行ったりするようなタイプ。今回彼はそれをうまくやってくれてるなあと思ってます。彼の良いところを十分発揮しています」

――高橋さんは『相棒』にも出ていましたね。

 「三男坊のルーズな感じが出てますね。4人兄弟だときっと、三男坊はあんな感じなんだろうと思います。克実がいるとバランスがいいですね。癒やし系だし」

――堤さんは、ずっと水谷さんのファンだったと語っていました。

 「うまくやってますね(笑い)。末っ子ってわがままで、みんなにかわいがられて、というイメージがあるじゃないですか。でも、この芝居にあるように、ただ甘やかされてるんじゃなく、いろんな思いを抱きながら兄弟を続けてきたんだろうなって思わせる。長男は、年が離れた末っ子がかわいくてしょうがない、というところがあると思うので、その辺りが出せれば」
舞台「帰ってきたマイ・ブラザー」で熱演する水谷豊さん(右)と寺脇康文さん(宮川舞子撮影)

舞台「帰ってきたマイ・ブラザー」で熱演する水谷豊さん(右)と寺脇康文さん

舞台で長年の「相棒」と共演

――この舞台では、最新作の『相棒』(22年10月~23年3月放映)に再登場した寺脇さんも出ています。寺脇さんには、水谷さん自身がこの舞台への出演を最初にお願いしたそうですね。

 「そうなんです。寺脇はずっと舞台をやってるじゃないですか。以前から、いつかチャンスがあったら、舞台を一緒にやりたいねと話していたんです。(もし今回が)ぼくの最後の舞台になったら、寺脇との約束が果たせないので、声を掛けました。彼も喜んでくれて、共演が決まりました。寺脇の『相棒』への再登場は、その後に決まったんです」

――「帰ってきたマイ・ブラザー」はエンターテインメントの王道ですね。

 「まずプロデューサーと、どういうものをやりたいか話をしました。人は悩みなど、いろんなものを抱えているけれど、せめてこの舞台を見ている間は笑って、ホロッとして、最後に心地よくなってもらおう。そういう舞台ができたらいいなあ、と考えました。ぼくたちには病気は治せないけれど、舞台を見ている間は病気を忘れてもらおうよ、と。作品を決める前に、そういうものを目指そうという話をしたんです。おそらく、その通りになったと思います」

■舞台は、同じことを毎日やっているようで毎日違う

――舞台と、テレビドラマなどの映像との違い、共通するところは。

 「基本的に、芝居をすることだっていうのは変わりません。舞台は、同じことを毎日やってるようだけど、毎日違うんです。その日によって何かが違う。それぞれが持ってる空気もね。とても生っぽいですね。やってる間、せりふや芝居を忘れちゃいけない。
映像は、(ある場面を)やったら次に行かなきゃいけない。舞台は最初から最後まで行くんだけど、映像は、自分の頭の中で全部つないでおいて、どこから撮られてもいいような準備をしなきゃいけない。どちらが大変ということはないんですが、両方分かってやってると、舞台も楽しいなと思うと同時に、映像も映像でやりがいがあるなと思いますね」

――体調や健康にも気を配っていらっしゃると思います。

 「一番健康にいいことは、何もしないことですよ。ある時点までは、体をつくるのはいいんだけど、それ以上やると、体をいじめることになる。ある時、トレーナーに『もう体はいじめなくていいんじゃないですか』と言われたんです。生活できる筋力があれば十分健康だということと、あとは脚でしょうかね。脚が衰えたらすべてが衰える気がするので、脚だけは歩くなど気を付けていますね。激しいトレーニングは一切しないんですが、そういう思いがあるだけでいいんじゃないかな」
舞台と映像の仕事について語る水谷豊さん

舞台と映像の仕事について語る水谷豊さん

赤い口紅の先生

――今回のツアーの「裏テーマ」は、出演される4人の出身地を回ることだとか。段田さんの故郷の京都、高橋さんの新潟、堤さんの兵庫県西宮市も入っていますね。水谷さんは芦別ご出身ですね。

 「北海道には7歳までいたので、いろんな記憶があります。芦別には小学校1年生までいました。もうお亡くなりになったんですが、1年生の時の先生と手紙のやりとりをしていました。その中に『(ドラマの撮影で)この間、豊さんが札幌に来た時に、後ろから見てました』とありました。そのころ先生は(札幌市の)手稲に住んでいらした。
 『どうして声を掛けてくれなかったんですか』と返すと、『いやいや、元気でいるならそれで十分だった』と書かれていたので、今度会いましょうということに。手稲までタクシーで行き、着いたら、雪が降る中、着物を着た女性が赤い口紅をひいて立っていました。(小学校のころ)赤い口紅の先生、という記憶があったので、あ、先生だと気づきました。
 家にお邪魔して、ご主人を交えて話しながら『ところで先生、ぼくの(先生の)印象は、赤い口紅だったんです』と言ったら、先生は『当時を思い出して塗ったのよ』って。そういう先生でした」

――空知地方での思い出はありますか。

 「空知川で泳ぎましたねえ。まだ幼稚園に行く前ぐらいのちっちゃい時。子どもたちがみんなで泳ぐんです。水着なんてなくて、その場で服を脱いで、裸で。冬には、近所のお兄さんたちが(雪で)かまくらを作ってくれたり。兄が竹スキーを作ってくれたりした思い出もあります。振り返ると、北海道っていいところだな、と思いますよね」

――ドラマのロケで道内には何度もいらしています。「相棒」でも、小樽の富岡教会のシーンが印象的でした。

 「ああ、小樽。行きました、行きました。ガラスの工房にも、プライべートで行ったんですよ。小樽運河は、今はきれいに整備されていますが、昔の運河もどこか風情がありましたね。(『熱中時代』で共演した)船越英二さんに、札幌のいろんなところにも連れて行ってもらいましたねえ」

ゼロでいられる覚悟ができるか

――俳優として半世紀以上、いろいろな役を演じてこられました。水谷さんの中で変わったこと、変わらないことは。また、演じるとは何でしょう。

「無理に自分を変えようと思ったことはありません。変わることは自然と変わるでしょうから。変わらない思いっていうのは、ずっとあるかもしれないですね。演じること…、何でしょうね。ぼくはこれ(俳優)を職業、一生の天職と思ったことはないんです。
 客観的にはそう見られるのかもしれないけれど。この仕事は、一生の職業とは言えないものがあります。基本的には、オファーがないと成り立たないでしょ? だから、何もない状態で、つまりゼロということですね、それでも俳優だと言わなきゃいけない大変さがあると思う。何もない状態で俳優ですっていうところから始まるから、その覚悟がなきゃいけない。ゼロでいられる覚悟ができるかどうか」

――でも、これまで仕事が切れることはなかったのでは?

「ぼくね、2年とか1年半とか休んだりしてるんです。やめちゃったのか、と言われたこともあった。でも、再び始めると、なぜかいい人に巡り会って、いいものができるので、ずっと続けてるように思われるんですよ。こんなに仕事をしてないんだ、という時期もあったんですけど」
俳優は「ゼロでいられる覚悟ができるかどうか」と語る水谷豊さん

俳優は「ゼロでいられる覚悟ができるかどうか」と語る水谷豊さん

「相棒」に、もう一回呼びたかった人

――「相棒」は2000年以来、何度も続編が作られる人気シリーズになりました。初代の相棒だった寺脇さんの再登場は、大きな話題となりました。

 「長いですねえ。こんなに続くとは私も予想外でした。相方は大事です。それぞれの相棒も、みんな魅力的だった。だからこそ、ここまできた。『相棒』が終わるまでには、もう一回寺脇を呼ぶぞって思っていたんです。形はどうなるかわからないところはあったんですけど。まさか、また(寺脇さんが)登場するとは思わなかったでしょう?」

――娘の趣里(しゅり)さんは俳優、(妻の)伊藤蘭さんは俳優としてはもちろん、新譜を出したり、コンサートツアーをするなど音楽活動も注目されています。2人に触発されることはありますか。

「ぼくも、歌は時々、やってほしいと言われるんですけどね。(2016年にシングル『ありがとう』を出しましたが)チャンスがあったら、またやってみたい」
(参考:北海道新聞デジタル発)

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