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なまらあちこち北海道|栗山英樹さんが語る「翔平はもっとすごくなった可能性も」

北海道

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栗山英樹さんのこれまでの経験から大切にしてきたこと、北海道への思い、今後の展望などを聞きました。

栗山英樹さんが語る 野球、WBC、栗山町 「翔平はもっとすごくなった可能性も」

刊行した著書について語る野球日本代表「侍ジャパン」前監督の栗山英樹さん=2024年4月23日、東京都内(玉田順一撮影)

刊行した著書について語る野球日本代表「侍ジャパン」前監督の栗山英樹さん

「信じる」は「本当にそうなるはずだ」

 ――本書のタイトルの「信じ切る」という言葉がとても印象的です。
 「『信じる』という言葉はよく使いますが、僕がそう言う場合、本当にそうなるはずだと思っている。『そうなったらいいな』くらいの思いでは効果を及ぼすことはできないからです。たとえば野球である選手を代打に出すときに『ダメかもしれないけど行ってきて』なんて、少しでも疑いを持てば信じることにはなりません。監督だけは信じ切って、選手を送り出さないといけないと思っているのです」
 ――この本を通じて読者に届けたいと思ったことは?
 「(日本ハムと日本代表の)監督を12年間させていただき、勉強になったことが多かった。僕自身もどうしたらよいのか迷ったときは、先人たちの言葉に助けられました。ですから僕が経験を通じ『こう生きるべきだ』と感じたことを伝えることで、だれかが楽になることがあるかもしれません。だったら、その思いを表現しようと考えました。人はそれぞれ考え方も感じ方も違います。僕と同じように感じなくても、少しでもプラスになることがあれば、と思っています」
「人が成長するときには『信じ切る力』が必要になる」と語る栗山英樹さん(玉田順一撮影)

「人が成長するときには『信じ切る力』が必要になる」と語る栗山英樹さん

 ――この本には、日本ハムが大谷翔平選手をドラフト1位で指名して入団まで導き、投打の二刀流として育成したことに、まったく迷いがなかったと書かれています。
 「高校生のときの大谷翔平(選手)を、(スポーツキャスター時代に)実際に見ていたことが大きいですね。現場にしか答えはないのです。高校2年の翔平が投げる姿、そしてバッティングを見て『どちらかをやめさせることなんて絶対にできるわけがない』と思いましたね。二つやる、という発想じゃなくて、『どっちかを誰がやめさせるんだよ』って思いました。日本ハムで彼と一緒に戦った5年間、二刀流に疑いをもったことなんて一瞬もなかったです。それくらい彼はすごかった」
日本ハムでプロ初勝利をあげ、栗山監督(右)に笑顔でウイニングボールを見せる大谷翔平選手=2013年6月1日、札幌ドーム(藤井泰生撮影)

日本ハムでプロ初勝利をあげ、栗山監督(右)に笑顔で
ウイニングボールを見せる大谷翔平選手

二刀流「人間ってすごい能力があることを証明してくれた」

 ――大谷選手は先日、大リーグで日本人選手の通算本塁打記録を更新しましたね。
 「アメリカに行って世界一の評価を受ける選手になると思っていましたから、まだまだ(本塁打数)はこれからも伸びる。そういってもおかしくない能力を持った選手なんです。翔平の天井を僕はすごく高くみていますから」
 ――大谷選手がまず日本ハムに来たことが今の活躍につながっていますか。
 「あのとき声をかけ、日本ハムにきてもらいましたが、ぼくのような指導者じゃなければ翔平はもっとすごくなった可能性もありますし、そのことについて僕からは言いづらい。本当にそれが良かったかというのは、本人が生涯を終えるときに感じるものなのでしょう。うまくいっているだけに、本当ならばどうだったのか、と(僕は)考える部分はあるんです。ただ、翔平の二刀流は、人間ってすごい能力があることを証明してくれた。
 そういう人が出てきたことで、次の世代に大きな夢を与えたことは間違いない。18歳の少年だった翔平が『アメリカでやります』って、あれだけ世の中の逆風を受けながら宣言した。彼を指名してチーム(日本ハム)に入ってもらった責任を、僕は今でも感じています。花巻東高(岩手)の関係者ら多くの人が、最後は翔平のためにと、いろいろな方面で動いてくれた。そのことを今でも忘れていないつもりです」
空知管内栗山町の栗の樹ファームで、子供たちとアオダモの苗を植える栗山さん=2016年8月1日(福田講平撮影)

空知管内栗山町の栗の樹ファームで、子供たちとアオダモの苗を植える栗山さん

 

栗山町で人生にとって一番大切なことを教わっている

 ――一方、本の中では空知管内栗山町に移住したことが人生に大きな意味を与えたことが詳しく書いてあります。
 「栗山町では人生にとって一番大切なことを教わっています。人間は常に自然から学ばないとならない。近くに自然がある栗山町では、たとえば木を一本切るときでもどういうタイミングで切るのか、どういう意図で切るのかなど、自然から教わることが多いんです。確かに冬の寒さは厳しく、雪も多い。木を守るための工夫を重ねるなど、がんばって手をかけて冬を乗り越えたときの喜びも大きい。そして自然と向かい合うと、人にどう接すればよいのかということにも気付かされます。
これからの北海道での活動について語る栗山さん(玉田順一撮影)

これからの北海道での活動について語る栗山さん

日本ハムを「世界一愛されるチーム」にしたい

 ――今年1月に就任した日本ハムのCBOとしての展望は?
 「チームから離れて少したっていますので、今、じっくり見させてもらっているところ。慌てないで少し時間をかけながら、『世界一愛されるチーム』をつくりたい。スタジアムも新しくなりました。施設を充実させ、喜んでいただくことは大事です。一方で試合で選手の姿を見たときに『命がけで応援したい』と思える姿をどう見せていくかが絶対的なポイントです」
 ――大谷選手のような選手をまた育てたいですか。
 「翔平みたいに二刀流でなくても、『この選手を見たい』という特徴のある選手をたくさんつくっていかなければと思っています。そういう意識がないと野球全体が先細りになっていく可能性が高い。僕はそういう懸念を持っているのです」

野球文化を守りたい

 ――栗山さんにとって野球の魅力とは?
 「野球はいろいろな要素がからむ偶然性の高いスポーツ。弱いチームが強いチームに勝つこともあるし、どれだけ練習を積んでも、打ちとったはずの球が、間を抜けてヒットになることがある。それって人生そのものです。運が左右するからドキドキする。
 そして、野球というのはスポーツという枠ではありますが、人との接し方を学ぶなど多様な面がある。だから日本では野球文化が発展してきたし、僕はそれを守りたいと思っています。僕の夢はすべての都道府県にプロの野球チームを置くこと。ファームでもいいのですが、自分が生まれた地域にプロチームがあるのはとても大事なことだと思います。僕は先輩の野球選手たちの姿から野球に感謝する気持ちを受け継いでいる。だからこの夢をけん引する存在でありたいと思っています」
 ――とても前向きな栗山さんですが、本書ではメニエール病などに苦しんだ選手時代など苦労を乗り越えた経験もたくさん明かしています。
 「もしうまくいかなかったり、大変だったりする人も、僕がのたうちまわった末に考えたことが、少しでも参考になればうれしい。野球人生を振り返ると苦しい時期がほとんどでしたが、たまに優勝させてもらって喜んだこともあった。これって人生も同じです。ほとんどが苦しいけれど、たまに良いことがあるというのが生きるということ。それが当たり前、それでいいんだ、とこの本で感じてもらえればと思っています」
(参考:北海道新聞デジタル)

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