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なまらあちこち北海道|「北の国から」五郎の家、みんなの力で永遠に直せる・富良野

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「五郎の家」の補修工事が始まっていることは、このブログでも紹介しました。今回はその後の活動の様子をご紹介します。

「北の国から」美術監督に聞く補修作業と撮影の裏話

五郎の石の家の前で撮影当時のエピソードなどを語る梅田正則さん
五郎の石の家の前で撮影当時のエピソードなどを語る梅田正則さん

富良野を舞台にしたテレビドラマ「北の国から」のロケセットの一つ、「五郎の石の家」周辺の補修作業が8月下旬に行われ、道内外から市内東麓郷に集まった延べ44人がドラマの世界観に思いをはせました。

美術監督として1984年の「’84夏」から2002年放送の最後の「遺言」に携わり、補修も指揮した梅田正則さん(74)に、北の国からへの思いや裏話などを聞きました。(聞き手・千葉佳奈)

――昨年行った「3番目の家」に続き、今年もボランティアとともにロケセットの補修作業を行いました。

「前回と違い、1日のみではなく連続で来てくれる人が多く、作業がスムーズに進んだのが印象的でした。僕はスケッチを描いたりして(補修の)スタンスについて考え、他はボランティアの方々に考えてもらうようにしました。今後、ドラマの撮影はないので、もし(主人公の)黒板五郎さんが住んでいたら、娘の蛍が来たら―というのを想像し、作業してもらうことに重点を置きました」

 

――ボランティアを募った理由は。

「根底にはロケセットを廃屋にしたくないという思いがあります。僕の知る限り、全国でもロケセットがしっかりと残っているのは『北の国から』ぐらいで、他の場所はどんどん朽ちていったりしています。みんなの力を借りれば永遠に直していけるし、ドラマを見てもらうきっかけにもなる。僕たちが行ったのは映像の姿を残す作業です」

――ドラマの世界観をつくり上げる際に、こだわった点はありますか。

「最初に手がけた『’84夏』以前は別のグループが担当していたこともあり、あえて前作は見ず、仲間と『僕たちらしい作品に仕上げよう』と話していました。

作品にはそれぞれ色というものがあると思うんですが、『北の国から』は原色ではなく、グレーやモスグリーンなどとにかく落ち着いた色合いだと思った。だから、お金がない五郎さんが、拾ってきた板や石で家を造ったように、僕たちも廃材をもらってきて、表面の見える部分はなるべく古い物を使うようにしました。

本来、真新しい柱に色を塗るなどしてそれらしく加工するのがテレビや映画の映像美術の醍醐味(だいごみ)ですが、自然な雰囲気を大事にするため、時間をつくるのではなく、時間がたったものを使いました」

――撮影当時、セットで使う道具などを地元住民からもらったと聞き、驚きました。

「撮影が始まる2週間前、やかんや鍋を『小野田そば』さんなどに『ちょうだい』と言っていました。その後、市街地に行ったときに新しいものを買い、交換してもらいました。1週間前には帽子や長靴、手拭いなどを入手するため、農家さんを1軒1軒回るわけです。特に手拭いの使用感は実際(の農作業)に使っていないと表現できない。だから五郎さんの身につけている物は、どこからか交換してきたものですよ」

――黒板五郎役を演じた故田中邦衛さんは、どのような人物でしたか。

「邦さんからは梅ちゃんと呼ばれていたし、付き合いも長かったけど、おどけたり冗談を言う人では決してなかった。本当に紳士的で、邦さんの自宅でご飯を食べた時も態度が全く変わらなかった。僕にとっては五郎さんそのものですよ」

――富良野市在住の脚本家の倉本聰さんは、執筆活動など今なお多方面で活動しています。

「僕と倉本先生との最初の出会いは、1975年のテレビドラマ『あなただけ今晩は』だったかな。いろいろな人を見てきたけれど、先生の脚本は本物です。

先生は脚本を書く前に登場人物の生い立ちや給与、趣味などを履歴書として書くので、美術としてもやりやすい。ドラマはうそをつくる。でも、先生のは生きざまがしっかり描かれているので、『うそから出たまこと』みたいな話で、ひと味違います。だから作品たちが色あせないのです」

皆さんの力で「五郎の家」が永遠に残って行くことを願います。

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