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なまらあちこち北海道|苫駒甲子園初制覇20年、佐々木監督

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あれからもう20年。駒大苫小牧高校が甲子園全国制覇は全道に喜びが爆発した。その時の主将だった佐々木選手は、その後母校の監督として半生を過ごしている。

<大優勝旗の系譜 駒苫甲子園初制覇20年> 佐々木孝介監督 人生の半分を母校と

春の全道大会1回戦、本塁打を放った3年生を出迎える佐々木孝介監督(左)(北波智史撮影)
春の全道開会1回戦、本塁打を放った選手を迎える佐々木監督
苫小牧市
 駒大苫小牧高の現監督、佐々木孝介さん(37)にとって、初優勝から20年の節目は特別なことではない。「毎年が勝負。今の選手と甲子園に行きたい」。5月9日に行われた春の支部予選の初戦を制し、集まった報道陣にきっぱりと語った。闘志むき出しの目は、20年前の夏、主将としてチームを率いた時と変わらない。

率先して雑用こなす

 後志管内余市町出身。少年野球指導者の父の影響で高校入学前から、率先してグラウンド整備など雑用をこなし、プレー以前の野球に取り組む姿勢を重視した。道内の強豪校を見学する中で、この部分が「圧倒的にきちんとしていたのが駒苫だった」。進学し、強くなりたいと思った。
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 駒苫では雪上ノックや1日2千回の素振りなど肉体的に厳しい練習をこなした。一振りごと攻撃の場面を想定した打撃練習や守備でのカバーリングの細かな動きなど、当時の香田誉士史(よしふみ)監督が突き詰める野球をチームメートとともに3年間かけて身に付けた。
 主将となってからも、朝いち早くグラウンドを整備し、範を示した。
 3年の夏。「日本一の練習をしてきた」という強い自信を抱き、それまで駒苫が1勝も挙げたことがなかった甲子園に臨んだ。日大三(西東京)や横浜(神奈川)といった優勝候補を撃破し、勢いそのまま決勝で済美(愛媛)に勝利した。
 「自分たちを導いてくれた香田監督を支えたい」と指導者の道を目指し、駒沢大卒業後の2009年4月に母校のコーチに就いた。ただ、香田監督は07年に退任しており、「みんなが動揺し、規律が失われていた」と振り返る。

心を鬼に厳しさ貫く

 09年8月に22歳で監督に就任。練習をサボる主力選手や寮の就寝時間を過ぎても寝る気のない部員を「心を鬼にして」指導した。反発はあったが、3年間野球にささげる覚悟で入部した選手たちに応えようと、厳しさを貫いたという。
 14年と18年の選抜甲子園に出場。これまでの教え子の中から、プロ野球の伊藤大海投手(日本ハム)や若林楽人選手(西武)をはじめ、大学や社会人で活躍する選手を多数輩出してきた。
 チームを強くするため、選手の才能だけを重視しているのではない。今春の支部予選の代表決定戦では、延長十回の好機に「誰よりも練習してきたから」という理由で、公式戦初打席の3年生を代打に起用。サヨナラ打を放った。
 今年の3年生は技術的に突出した選手は少ないというが「自主練に全員で取り組むなど野球に対する姿勢は真剣。本番で結果を出すのはそういう選手だ」。春の全道大会では、3年生の選手17人全員を登録メンバーに入れた。
 選手として3年、指導者として15年。人生の半分近くを駒苫とともに歩んできた。「勝利にこだわるからこそ、努力を大事にしてきた」と断言。甲子園に挑み続ける。
 初優勝後
2005年夏の甲子園で、2年田中将大投手(現プロ野球楽天)を擁する駒大苫小牧は、57年ぶり6校目の連覇を果たした。翌年夏も田中を主戦に決勝に進出し、斎藤佑樹投手(元日本ハム)擁する早稲田実業と延長十五回1―1引き分けの死闘を展開。再試合で敗れ、準優勝となった。
駒苫の活躍は道内の高校に刺激を与え、東海大四(現東海大札幌)が15年の春の選抜で、北海(札幌)が16年夏に、それぞれ準優勝を果たした。駒苫は07年以降、甲子園に春2回、夏1回出場した。
(参考:北海道新聞電子版)
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