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なまらあちこち北海道|別海高校、センバツ21世紀枠決定!。島影監督、三度目の正直で初の甲子園

スポーツ

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別海高校が「21世紀枠」でセンバツへの切符を手にしました。北海高校と2チームの出場です。町民と監督の喜びの声が聞こえてきます。

センバツ決定 別海喜びの声 「あの舞台に向かって頑張りたい」

センバツ21世紀枠に選ばれた別海高ナインら=26日午後3時35分(国政崇撮影)
センバツ21世紀枠に選ばれた別海高ナインら
別海町
 【別海】根室管内別海町にある別海高野球部が、第96回選抜高校野球大会の甲子園切符を射止め、町民の夢をかなえた。選手16人とマネジャー3人を含む生徒たちは、体育館で選考委員会のインターネット中継を見守り、21世紀枠での選出が決まると飛び上がって喜び、周囲は歓喜に包まれた。

 

 登壇した中道航太郎主将(2年)は、紅潮した顔で「今回無事に21世紀枠で選出されたのは皆さんの応援があったからこそ。今、満足に勉強や野球ができない人たちがいる中で、こうして自分たちが野球をできる幸せを感じることができました。今まで支えてくれた人たちに結果で恩返しができるよう、あの舞台に向かって頑張っていきたいと思う」と抱負を語った。
 チームを大舞台に導いた島影隆啓(たかひろ)監督(41)は取材に対し、「まさか本当に選ばれると思っていなかったので。気持ちの整理がついてない。子供たちが頑張った成果だが、ここまでチームを築いてくれた先輩たちがいたおかげなので、それだけは忘れないようにさせたい」と感極まった様子だった。

 

 基幹産業は酪農と漁業で、町内では11万3千頭の牛が飼育されている。約1万4千人の町民は、町出身の作家河﨑秋子さんの「ともぐい」が直木賞に輝いた直後の吉報に沸き返った。

 

島影監督 「3度目の正直」で初の甲子園

 

春夏通じて初の甲子園出場を果たした別海高の島影隆啓監督。冬場は1人でグラウンドの雪をはね、練習環境を整えている=1月25日、別海高(成川謙撮影)

春夏通じて初の甲子園出場を果たした別海高の島影隆啓監督。
冬場は1人でグラウンドの雪をはね、練習環境を整えている

 「別海は、ぜひ21世紀枠に選んでほしいチームであり、選んでほしい地域。今の気持ちとしては、緊張よりも楽しみの方が大きいですね」

 

 発表を翌日に控えた1月25日、別海高のグラウンドを横目に心境をこう語っていた島影監督。ここまでの道のりは険しかった。
 私立校の武修館高(釧路市)の監督だった2008年と10年、いずれも21世紀枠の候補校に選ばれながら、最後の選考で落選した。印象に残っているのは2度目の落選だ。

 

 09年秋の全道大会は準々決勝で敗れたものの、1回戦で強豪の北海に1―0で競り勝ち、高校野球の関係者から「絶対に甲子園に行ける」と言われていた。それだけに落胆は大きかった。

 

 13年の秋、突然、武修館の監督退任を告げられた。その翌14年の夏、手塩にかけた選手たちが初の甲子園出場を果たした。退任後、地元・別海町に戻って働いていたコンビニで、歓喜に沸く選手たちが掲載された朝刊を店頭に並べた時の複雑な感情は、忘れることができない。「うれしいなあ。けど悔しいなあ、と。自分はいったい、何をしているのだろうかと思った」

 

 16年、心機一転し、別海の監督を引き受けた。すぐに壁に当たった。
 当時、チームは「廃部寸前」と言われていた。待っていた4人の選手は「とても高校生のレベルに達していなかった」と振り返る。

 

 練習試合は負けてばかり。隣町の中標津高に「20点くらい取られて負けた」。それでも、一生懸命な彼らと昼も夜も練習した。しかし当時、時間に厳しい教員から「夜間はだめだ」と止められ、選手を厳しく叱る指導は「古い」と後ろ向きに捉えられた。

 

 島影監督は教員ではなく、野球を専門とする「外部指導者」だ。授業は持たず、部活動以外の時間は主にコンビニで働く。公立高校では珍しい立場の島影監督は、寄宿舎の開設やボールの寄付など地域の支援に感謝する一方で、冷ややかな視線も少なからず感じていた。「部員が少ないこんな田舎の学校が、頑張っても勝てるわけがない」

 

 だが、くじけなかった。監督としてのキャリアをスタートさせた08年から続けてきた、選手に厳しく接する指導を変えなかった。
 「高校野球はたかが3年間。人生はその後が長い。いくら甲子園で活躍しても、卒業後に社会の中で生きていけず、ダメになる人はいる。そういう人間にすることだけは、したくない」

 

 全力疾走、あいさつ、お礼、気配り、そしてチームプレー。保護者の理解を得たうえで、規律を乱し、集中を欠く選手は試合中でも強く叱った。

 

 その一方で、技術指導はコーチ陣にほぼ任せた。
 練習を交代で指導する、外部のコーチとトレーナーは計3人。主に打撃を担当する小沢永俊さん(55)は月に1度、北広島市から通う中で、選手に教えた打撃フォームを監督にいじられたことがない。

 

 「コーチに任せきれない監督が多い中で、島影さんは僕の指導を信じてくれる。だから力になりたいと思える。そうでなければ、わざわざ車で5時間もかけて来ないですよ」

 

 コーチの小沢さんとトレーナーの1人は武修館時代から島影監督と共に指導に携わり、別海についてきた。もう1人のトレーナーは武修館の教え子。公立校では珍しい充実の指導態勢は、信頼関係のたまものだった。

 

 島影監督が率いるチームは19年、19年ぶりに秋季全道大会に出場するなど着実に力をつけた。だが、全道大会上位、甲子園には届かない。思うような結果を残せず、3人の子どもを育てながら、早朝に始まるコンビニの仕事と指導の両立へのつらさも増していく。実は昨年の夏、釧根支部予選の代表決定戦で敗れると、指導陣に「これで辞める」と伝えていた。

 

 それでも慰留され、選手16人という少人数で臨んだ昨秋の全道大会で初の4強入り。ついに「甲子園出場」を果たすことになった。

 

 高校野球はいま、選手を叱らない指導が取り入れられつつある。その反対を進む島影監督は、自らの指導を「昭和の野球」だと冗談交じりに表現する。ただ、厳しい指導を求める選手や親も少なくはない。少人数だからこそ言葉が染みわたる。練習の準備や道具の片付けを協力し合うことで生まれる結束力は、先輩と後輩の上下関係を取り払い、仲の良さに魅力を感じた選手が次々と集まった。

 

 そんな別海の野球が、甲子園という形で一つ結実した。島影監督は、かみしめるように言った。
 「こんな田舎でも、北海道の端っこでも、少人数でも、やればできると証明した。俺たちがやってきたことは、間違いじゃなかった」

 

(参考:北海道新聞速報)
 
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