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横浜から蘭越町に移住してきた佐藤哲司さん、祥江さん夫妻を紹介します。
蘭越町はスキーリゾートの町、ニセコ町の隣にあります。道内でも屈指の米所です。
子供の独立を期に横浜市から夫婦で移住した佐藤哲司さん(56)と祥江さん(55)をご紹介します。
一目で気に入った後志管内蘭越町。自分たちのカフェを開こうと決め、東京に本社のある勤務先の大企業から退社することを決意します。ところが、会社からは「残ってほしい」と強く慰留され、想定外の「サラリーマンを続けながらの北海道移住」に。そんなこと、できるの?(文・写真/倶知安支局 桜井翼)
「清流日本一」のまちへ
ニセコ町の隣、蘭越町。「清流日本一」に輝く尻別川が流れ、豊かな自然が育む道内有数の米どころの町中心部に、2020年8月、空き家をリフォームしたカフェ「けらぴりか」がオープンした。
1月中旬。平日の正午ごろ、お店を訪ねると店内は10人ほどの女性客でにぎわっていた。友人と来店し、ランチをしていた蘭越町の会社員、高橋華恵さん(51)は「蘭越にこんなにオシャレなカフェができるなんて」と、うれしそう。
店を切り盛りするのは、妻の祥江さん。ランチタイムには、手作りにこだわったワンプレートランチなどを月替わりで提供する。蘭越産のカボチャを使ったサラダや、道産のマダラのムニエルに金柑(きんかん)ソースを絡めるなど、地元の食材に工夫を凝らした料理がいっぱいだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中での開店だったが、口コミで評判が広がり、ニセコ地域から訪れる客が絶えない人気店になっている。
夫の哲司さんは、国内有数の電機メーカーに勤めている。「いつか夫婦で地方に移住したいね」。数年前まで、そんな会話を2人でよく交わしていた。地方への移住話は、首都圏に住むサラリーマンなら誰もが漠然と抱きつつも、多くは「夢」にすぎない。
実現に動きだすきっかけは、2016年春。哲司さんが51歳のときに訪れた札幌への転勤命令だった。スキーを愛好する哲司さんが北海道のとりこになるのに時間はかからなかった。「脱サラして移住しよう」。横浜にとどまっていた祥江さんも、子育てが終わった後の第二の人生を北海道で過ごそうと心を固めた。
2018年秋。哲司さんは再度の異動で川崎市の工場勤務に戻ったが、2人の意志は変わらなかった。「2020年春に退職します」。ちょうど、役職定年の55歳を迎えるタイミングで、会社に退職を申し出た。
だが、会社からは想定外の反応が返ってくる。「辞めてもらっては困る。残ってくれないか」
既に店舗兼住宅に、と見込んだ空き家を購入済み。脱サラせずに地方へ移住することに。佐藤さん夫妻の模索が始まった。
きっかけは札幌転勤
佐藤さん夫妻は、共に東京・神田の出身。札幌転勤まで、首都圏を離れたことがなかった。
哲司さんは、大手電機メーカーでハードウエアの開発業務に携わるエンジニア。1989年に祥江さんと結婚してから、横浜市港北区の東急東横線沿いに一軒家を買い、3人の子どもに恵まれた。ごく普通の、首都圏に住むサラリーマン家庭だった。
移住前まで、川崎市にある工場に、満員電車で約1時間かけて通っていた。「自分の作ったシステムが無事に動いた時など、やりがいを感じる仕事」ではあるが、早朝に家を出て、終電で帰るのが当たり前の日々。加えて、システムにトラブルが発生すれば、その処置に振り回された。
多忙なサラリーマン家庭を支えてきたのは祥江さんだ。大学卒業後、不動産会社で事務をしていたが、長女の妊娠を機に退職。以来、子育てに専念してきた。
「長女が生まれてからの10年間は、子育て漬けの毎日だった」。平日は外で働きづめの企業戦士だった哲司さんの分も、育児に料理、掃除、洗濯と家事をこなしてきた。
そんな2人の共通の趣味がスキーだ。年1~2回、首都圏からアクセスしやすい新潟や長野のスキー場に出かけた。家族が一列になってゲレンデを滑り、このときばかりは仕事も家事も忘れて、開放感を味わった。
かつて、ボーイスカウトにも所属していた哲司さん。大企業勤めの都市生活を続けながら、少しずつ地方での生活に憧れを抱くようになる。「定年までずっと会社員でいるのも面白くない。いつかは大自然に囲まれた場所に移住したい」
しかし、再び仕事に忙殺される日常が戻ってくると、願望は頭の片隅に押しやられていった。具体的な地方暮らしの「形」を考える余裕のないまま、50歳過ぎまで勤め続けることになる。
2016年春の札幌転勤は、哲司さんの単身赴任だった。冬になると週末が来るたび、スキーを担いで「さっぽろばんけいスキー場」や「サッポロテイネスキー場」に通った。本州ではなかなか出会うことのない、サラサラと乾いたパウダースノーに夢中になった。夢だった移住生活が、急に身近なものに感じられるようになる。
当時52歳。会社は55歳で役職定年だ。3人の子どもたちは就職し、経済的にも独立している。脱サラして新生活に移るのに、これ以上のタイミングはない。
「北海道に移住しないか」。2017年に入ってから、哲司さんは横浜の自宅に残った祥江さんに切り出した。年々暑くなる夏が苦痛に感じていた祥江さんにとっても、冷涼な北海道での生活は魅力的に映った。
「蘭越町ってどこ?」
2017年秋、本格的な移住先探しを始める。札幌市にある「北海道ふるさと移住定住推進センター」を訪れた。北海道には179もの市町村がある。多くは行ったことのないまちだ。「地方で、まちおこしに関わりたい。自然が豊かで、でも、都会にもいける距離で…」。2人の希望をいくつか挙げて希望に近い市町村を探してもらった。
最初に勧められたのが「蘭越町」だった。「え?、どこ?」。初めて聞いた。知らない町だった。
「どんな町なのか、知りたくなって」。早速、次の週末に、2人で蘭越を初めて訪れた。収穫期を迎えた黄金色の稲穂が広がり、町からは羊蹄山の美しい姿が見渡せた。祥江さんは「ドラマみたいな世界ね」と感じた。さらに、2人の共通の趣味であるスキーのできるニセコ地域もすぐ隣だ。初めての訪問で、蘭越の町が気に入った。
それでも、移住を希望するに当たって、佐藤さん夫妻が不安に感じていたことがある。それは「田舎の人間関係」だ。小さな町であればあるほど、どうしても人付き合いは色濃くなるはず。首都圏からひょいと飛び込むよそ者は、受け入れてもらえるのか。
最初に訪れたとき、蘭越を案内してくれたのは、町内で宿泊施設兼保育所「ロッジニセコベアーズ」を営む松浦京子さん(59)。昨年まで、蘭越町観光協会の会長を務めていた松浦さんも、実はかつての移住者だ。ニセコの自然に憧れて、1985年に蘭越町に移り住んだ。
「ニセコ地域の周辺には、移住者がたくさんいて、みんな地域に溶け込んでいますよ」。不安を隠せないでいる佐藤さん夫妻に、松浦さんは移住者を次々と紹介した。
「ここなら大丈夫そうだね」。移住の不安は少しずつ溶けていった。
町を見て回って、気がついたこともあった。
「気軽にお茶ができる場所がない。女性が集いやすい、ランチも出すカフェがあったらいいかもね」。祥江さんは、そう思った。かつて、栄養士のコースに通った経験もあり、料理には自信があった。後日、松浦さんたちにカフェの構想を伝えると、もろ手を上げて歓迎された。
漠然としていた移住後の生活のイメージが固まった。
新たな「働き方」
2018年8月、蘭越町から紹介された、町中心部の築60年ほどの空き家を数百万円で購入した。ローンを組んでリフォームしただけでなく、休みを見つけては札幌から通い、自分たちでも改装した。カフェができるらしいといううわさは、すぐに広まった。外壁をペンキで塗り直していると、「楽しみにしていますよ」と、近所の人から声をかけられるようになった。
ところが2018年秋、哲司さんは異動で横浜に戻ることに。脱サラ後の生活が具体的に見えてきた段階での異動だった。さらに、「退職する」と伝えていた会社から、思いも寄らぬ慰留を受ける。
経験豊富なエンジニアは早々に育成できるものではない。貴重な人材の流出を防ぎたい会社と、移住後の生活に心のカジを切っていた哲司さん。札幌勤務のまま2020年春に退職し、退職金を新居のリフォーム代に当てる計画だったので、正直困った。
その一方で、準備を進めるカフェのオープンは予定通りに進めなければ、地元の期待も裏切ってしまう。祥江さんと話し合い、2019年8月、まずは祥江さんが1人でリフォームの完了した新居へ移住した。
横浜に残った哲司さんは会社と交渉の末、再び札幌転勤の辞令を受ける。しかも、蘭越からでも仕事ができるよう、リモート中心の働き方を認めてもらった。新型コロナウイルスの感染拡大前のことだ。
かつての大企業では、あり得なかった条件提示だろう。特殊な技術を持つ哲司さんは特例なのかもしれないが、「毎日出社しなくても、リモートで働けるのなら」という条件すら会社が了承したことは、正直、驚きだった。
ただ、今まで経験したことのない働き方。仕事になるのか不安があり、「1年だけ」と期限を決めて会社に残ることにした。
2020年4月、哲司さんは再び札幌に異動する。ほぼ同じタイミングで、新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。
「3密」を避けるように、働き方は大きく変化した。哲司さんの希望したリモート勤務は、感染症によって、はからずもスタンダードになった。週1回ほど、システムチェックのため札幌に通うほかは、すべての業務をリモートでこなしている。
「リモートで仕事ができるか不安もあったけど、始めてみたら何も問題なかった」と哲司さんは笑う。今はこの働き方で、定年の60歳まで、働き続けてもいいかなと思っている。
蘭越に移住後、最大の変化は、仕事をしていながらも自分の時間が確保できるようになったことだ。カフェがオープンしてからの昼間は、哲司さんもエプロンを着け、キッチンに入る祥江さんのサポートに回る。
哲司さんがお店で働いてくれることで、祥江さんにも余裕ができる。ランチ後の空いた時間で、フラワーアレンジメントの教室を始めた。
「けらぴりか」の店内は、祥江さんがデザインしたお花で彩られている。ランチだけでなく、「アレンジメントを学びたい」というお客さんも増えてきた。祥江さんは「自分が町の一部になってきた感覚がある。地域の人のためにできることをたくさんしたい」と、今は充実した生活を送っている。
エンジニアの哲司さんは、畑で採れる規格外の野菜をインターネットで安く売れる仕組みがつくれないかとも考えている。「都会では気がつかなかったいろんな可能性が地方にはある。こんなにワクワクした暮らしは初めてですよ」
地方で暮らしながらも、大企業で働き続ける―。数年前まで夢物語だった生活がリモート勤務の常態化で、今や現実になっている。
新天地に1本ずつ、根を張っていく佐藤さん夫婦の新しい暮らしは、都会に暮らしながら漠然と地方へ移住したいと願う人々の一つのモデルになるかもしれない。
蘭越町には例えばこんな空き家情報があります。
(参考:北海道新聞電子版、蘭越町HP)
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