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なまらあちこち北海道|道内で磨かれた才能、歴代指導者が語る

スポーツ

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WBCでも活躍の日ハム・伊藤大海投手。その強さと才能は北海道で磨かれ、育てられたということを、彼が育って各世代の指導者が語ってくれました。

 

道産子初のWBC代表・日ハム伊藤 道内で磨かれた才能 歴代指導者が特長語る

 野球の国・地域別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で道産子として初めて日本代表に選ばれた北海道日本ハムの伊藤大海投手(25)=渡島管内鹿部町出身=。16日の準々決勝では、持ち味の勝負度胸で重要な場面での登板が期待される。

 小学校から大学まで道内の学校を卒業し、北海道で磨かれた伊藤の才能。これまで見守り続けて来た歴代の指導者たちに伊藤の特長を聞いた。

 伊藤は小学2年生から野球を始め、小学6年生の秋から地元の函館東リトルシニアに入った。当時チームには速球派の主戦がおり、入団時は中堅手。投手は中学2年の後半から本格的に取り組んで、2番手だった。
当時、監督を務めていた山本要さん(64)は「線が細く、特別に上手な子というわけではなかった」と振り返る。ただ足は速く、難しい飛球でも素早く着地点に入り、難なくキャッチし、山本さんは「大海は簡単に捕るものだから、私のノックも捕れるか捕れないか、ぎりぎりを狙って打つようになった。おかげでノックの腕が上達しました」と笑う。現在本職とする投手の前に、外野手で野球センスの良さを見せていた。

 そして、WBCでも見せる、大舞台でも動じない伊藤の「メンタルの強さ」はこの時から備わっていたと、同リトルの吉田裕一会長(70)は振り返る。「他の選手が縮こまっている中で、本番でも変わらずに力を発揮できるタイプ。マウンドで投げている姿は躍動感が違った」と記憶に残る。「出てきたら『またやってくれるな』という期待感しかなかった」と信頼感は抜群だった。

 中学2年の秋から主将を任された伊藤。山本さんは「あの代が歴代で一番ミーティングをしていた」と話す。「私が課したメニューや課題に対して、大海を中心に選手同士で意見を出し合って、納得する形で練習していた」。研究熱心で知られる伊藤が考えて野球に取り組むようになったのはこの時からだという。
駒大苫小牧時代、春の選抜甲子園大会で創成館打線を3安打完封した伊藤

駒大苫小牧時代、春の選抜甲子園大会で創成館打線を3安打完封した伊藤

中学卒業後は駒大苫小牧高に進学する。同校の佐々木孝介監督(36)は滑らかな投球フォームにバネの強さ、そして動じないマウンドさばきを見て「ポテンシャルの高さは際立っていた」と話す。ただ、体重は60キロ中盤で「きゃしゃだった。筋量がつけば、どれだけ成長できるのか楽しみ」という素材でもあった。
 1年秋から頭角を表し、秋季大会で投手陣の一角を担って全道大会優勝を果たして、選抜甲子園の出場につなげた。
 選抜大会で初戦の創成館(長崎)戦で先発して3安打完封。高校入学時、120キロ中盤だった球速は130キロ後半まで出るようになり、佐々木監督は「一冬越えて、明治神宮大会などを戦って自覚が出てきた時期。彼に任せても良いなと思い始めた時だったが、想像以上に当たり前のように抑えていた」と着実に成長を遂げていた。
函館東リトルシニアの元監督の山本さん(右)と会長の吉田さん。「大海は当時から勝負事は何をやらせても勝つことにこだわっていた」と懐かしむ

函館東リトルシニアの元監督の山本さん(右)と会長の吉田さん。
「大海は当時から勝負事は何をやらせても勝つことにこだわっていた」と懐かしむ

佐々木監督が伊藤の高校生離れした印象として残っているのが、観察眼だ。練習試合で相手チームのユニホームの着こなしを見て、守備面で隙があると指摘。佐々木監督は「着眼点が面白いなって思った。実際に相手投手がけん制でケアできていないところがあって、見ているところが独特だなと思ったことを覚えている」と振り返る。

 観察眼はチームの士気向上にも生かしていたという。佐々木監督は「3年生の時は勝負どころで抑えるとあえて大きな声を出してガッツポーズをするなど、味方に流れを持ってくるために周りを鼓舞するようなしぐさをしていた。(佐々木監督の2学年後輩の田中)将大もそうだった」とかつての同校の大エースとその姿は重なったという。

「日本代表を背負っている投手なのに存在は全然遠くない。プロに入ってからも大海はまったく変わらない。それがうれしい」と話す佐々木孝介監督

「日本代表を背負っている投手なのに存在は全然遠くない。
プロに入ってからも大海はまったく変わらない。それがうれしい」と話す佐々木孝介監督

高校卒業後、駒大に進学したが、1年秋に中退を決意し、苫駒大(現北洋大)に再入学した。規定により1年間、公式戦に出場できない中で、大滝敏之監督(68)は「あの時期にしっかり成長できたからこそ、今の大海がある」と強調する。
「気持ちの強さはプロ向きだった。自分が決めたことは必ずやりきる意思の強さもあった」と語る北洋大の大滝敏之監督

「気持ちの強さはプロ向きだった。自分が決めたことは必ずやりきる
意思の強さもあった」と語る北洋大の大滝敏之監督

試合に出られない状況で、見つめ直したのは体づくり。「どこを鍛えたら成長できるか、トレーナーと相談し、自らも研究して身体を作り直した。細かい筋肉の部位、自分の弱かったところを重点的に鍛え上げた」。体幹を強化し、投球フォームを確立するなど、土台づくりができたという。大滝監督は精神面の強さについても、この時期が伊藤をさらにたくましくしたとし、「試合という目標がない中でも、大海はひたむきさを忘れずに、自分の決めたことをやりきった。苦しみを乗り越えたということが、今も大海の大きな心の支えになっている」とみる。

 大学2年時からは2年連続で大学日本代表に選ばれるなど、飛躍を遂げる。ドラフトでは日本ハムから球団で初となる道内出身選手としての1位指名を受け、名実ともに北海道の星となった。

苫駒大時代に力投する伊藤

苫駒大時代に力投する伊藤

多くの指導者に見守られ、持ち前の負けん気の強さと研究熱心さで日本を代表する投手にまで成長した伊藤。父親の清光さん(53)は「大海にとっていつも相談できる指導者が周りにいたことは幸運だった」と感謝する。北海道で伸ばしてきた力を発揮し、世界一まで駆け上がる。
WBC初戦の中国戦で九回に初登板を果たし、1回無失点だった伊藤(村本典之撮影)

WBC初戦の中国戦で九回に初登板を果たし、1回無失点だった伊藤

 伊藤大海投手の今後の活躍がますます期待されますね。

(参考:北海道新聞ニュースエディタ―)

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