スポンサーリンク

なまらあちこち北海道|ソフトカツゲンのルーツは中国?

グルメ

この記事を読むのに必要な時間は約 8 分26 秒です。

道民なら誰でも飲んだ記憶のある「ソフトカツゲン」。そのルーツにはこんなことがあったのです。

濃いのにすっきり 「ルーツは中国?」北海道「だけ」商品のヒミツ

 道産子の私は子どもの頃、暑い日に青い紙パックを冷蔵庫から取り出し、コップいっぱいに注いで飲み干した思い出があります。「濃い味だけど、すっきりしている」。ほどよい甘酸っぱさで、子どもながらに不思議な感覚がありました。「カツゲン」は、北海道民に半世紀以上愛されているロングセラー商品です。(東京報道センター 木村直人)
現在販売されている「ソフトカツゲン」。鮮やかな青色の紙パックが印象的だ(伊丹恒撮影)

現在販売されている「ソフトカツゲン」。鮮やかな青色の紙パックが印象的だ(伊丹恒撮影)

カラメル色素で独特の乳白色に

 カツゲンは、北海道を代表する企業の一つだった旧雪印乳業が1956年に発売を開始しました。商品名は、活力の給源を意味する「活源(カツゲン)」。飲むと元気になりそうな名前です。
 カツゲンの開発、販売などを担当する雪印メグミルク北海道統括支店(札幌市東区)営業企画課の斉藤景介さん(36)によると、カツゲンは現在、札幌工場のみで製造されています。いずれも紙パックで180ミリリットル、300ミリリットル、500ミリリットル、1リットルの4サイズがあり、製造量は平均で1日当たり1万本を上回ります。
カツゲンの開発、販売を担当している雪印メグミルクの斉藤景介さん(伊丹恒撮影)

カツゲンの開発、販売を担当している雪印メグミルクの斉藤景介さん(伊丹恒撮影)

 製法は発売当初からほとんど変わりません。ヨーグルトにやや近く、脱脂粉乳に乳酸菌を加えて発酵し、液糖などを加えます。殺菌工程でカラメル色素を加えると、白色からカツゲン独特の乳白色になります。フルーツ系の香料を加えるのも爽やかな味の秘訣(ひけつ)です。今でも、子どもや中高年を中心に根強い人気を誇っています。
 カツゲンの詳しい歴史を斉藤さんに聞くと「カツゲンは元々、雪印の商品ではないんです」。意外な答えが返ってきました。私(記者)は図書館を訪れ、社史「雪印乳業史」を調べました。カツゲンのルーツは戦前の昭和初期までさかのぼります。

病に苦しむ兵隊向けの「栄養ドリンク」

 カツゲンの「先祖」が誕生したのは1938年(昭和13年)の中国・上海です。37年に日中戦争が始まり、現地には旧陸軍が派遣されていました。社史には「(中国中部は)五月中旬ごろから酷暑のため、将兵は飲料水が不足し、それも生水ではチフスやコレラ・赤痢などの伝染病にかかるおそれがあり(中略)、軍にとっては全く頭痛の種であった」と記しています。
 そんな情勢の中、雪印の母体の一つであり1925年(大正14年)に設立された、北海道製酪販売組合連合会(酪連、札幌)の黒沢酉蔵(とりぞう)会長が38年5月、市場視察や販路開拓のため中国や旧満州(現中国東北地方)を訪れました。
「日本酪農の父」と称される黒沢酉蔵氏

「日本酪農の父」と称される黒沢酉蔵氏

 黒沢氏は明治時代の足尾銅山鉱毒事件を契機に農民救済に取り組み、道内では酪連の先頭に立ちながら、後の雪印の基盤を築いた人物です。北海道開発にも長く携わり、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)を立ち上げたことなどから「日本酪農の父」と呼ばれています。

 

 黒沢氏は上海などの視察先で病に苦しむ兵士たちの窮状を目の当たりにします。「(1919年に販売開始された)カルピスのような乳酸飲料をここで造って、まず軍に供給する。それから三〇〇万人都市である上海で売れば必ず売れる」(雪印乳業営業史)とひらめきます。
 乳酸飲料に整腸効果があると知った軍の求めもあり、酪連は上海に工場を急いで整備します。北海道から原液を調達し、38年7月23日から製造・出荷を始めました。商品名は「活素(カツモト)」で、同営業史には「勝つ力の素(もと)」「乾きを癒やし、敵に勝つ素」という理由から名付けられたとあります。

 

 カツゲンのルーツは、わずか2、3カ月の期間で開発された「軍隊の栄養ドリンク」だったのです。当初は原液を飲みごろに薄めて、中国内の飲食店から集めたサイダーやビール瓶に詰め、主に傷病兵に供給しました。栄養価が高かった活素は評判を呼び、北海道内や大阪でも製造が始まりました。
 しかし、太平洋戦争中の1945年2月ごろには物価高騰で砂糖などの原材料が手に入らなくなり、日本での製造が困難に。上海工場の活素も台湾からの砂糖の供給停止によって製造が打ち切られ、工場自体も終戦に伴い営業を停止しました。
 活素は日本、中国ともに姿を消すことになりました。

1950年代に復活も、少ない記録

 活素の製造終了から約10年―。1944年に創業した札幌酪農牛乳(札幌)が56年10月、道内で後継商品を復活させます。それが乳酸菌飲料「活源」(カツゲン)です。同社は小樽工場を中心とし、50年に設立された雪印乳業と資本提携を結んでいました。両社は61年に合併します。
 発売初期は40ミリリットル、80ミリリットルの小瓶に詰め、宅配が主体でした。銭湯にも並び、40ミリリットル入りは当時5円で販売。当初は計3万本ほどを生産し、後に雪印乳業の帯広、留萌、奈井江、函館、青森、青森八戸、岩手釜石の道内外7工場にも広がりました。その後は大阪工場などでも製造しました。

 

 乳酸菌飲料のライバルが活源発売を後押しする形になった可能性もあります。1935年に福岡県で発売し、道外に広がったヤクルトは道内では流通していませんでした。活源はヤクルトより半月ほど早く販売を開始。値段も活源の方が割安だったことから、北海道内に広く浸透しました。
 実は、社史の雪印乳業史を読んでも同社の主力である牛乳やバター、チーズなどの記述が多く、カツゲンに関する記述は少ししかありません。発売翌年の57年には商品名が「活源」から「カツゲン」に変わったという説もありますが、当時の記録はほぼ残っておらず、復活の詳しい経緯もよく分かっていません。

 

 現代風に言うと「カツゲンは『推し』じゃなかったのかな?」と感じます。それでも会社の成長や広告宣伝が奏功し、カツゲンを含む乳酸菌飲料全体で見ると、1962年度の製造量は59年度に比べて3・3倍に達しました。
現在の雪印メグミルク札幌工場(札幌市東区)(伊丹恒撮影)

現在の雪印メグミルク札幌工場(札幌市東区)(伊丹恒撮影)

より飲みやすくリニューアル

 1979年3月、雪印乳業は「より幅広い世代に親しんでもらえるような飲みやすい味にしたい」としてカツゲンをリニューアル。「ソフトカツゲン」を発売します。軽い舌触りで、すっきりした風味に大きく変えました。「以前のカツゲンは3倍くらいの濃さでした。甘みと酸味を抑えて、誰でも『ごくごく』飲める味にしたのです」(斉藤さん)。現在のカツゲンとほぼ同じ味になりました。

 

 瓶から扱いやすい紙パック(当初は500ミリリットルの1サイズ)に変更したこともあり、カツゲンは道内で存在感を高め、不動の地位を築くことになりました。さらに、84年には180ミリリットル入りの「チコソフトカツゲン青りんご」を発売。後に販売を始めるフルーツフレーバーの祖となる商品を発売しました。85年には1リットル入りのプレーンを売り出しています。
 これだけ長年人気を維持しているのに、なぜカツゲンは北海道限定なのでしょうか。実は、何度か道外での商品展開を試みています。社史による判明分だけでも、1992年に「雪印活源」として関東地区で販売。翌93年は全国に拡大し、青りんご風味も販売しました。しかし、94年の販売を最後に社史への記載はありません。

 

 寒冷地の道民は濃厚な味を好むとよく言われます。一方で、カツゲン独特の濃厚な味わいは、道外ではあまり人気が伸びなかったようです。
 その後は基本的に道内限定で販売し、フルーツなどの風味を付けた「フレーバーカツゲン」で需要の掘り起こしを狙いました。青りんごをはじめ、ももやさくらんぼ、ハスカップ、変わった味ではシークワーサーなどもありました。2017年に道内限定の炭酸飲料「リボンナポリン」とコラボレーションした商品を売り出すなど、これまでに少なくとも50種類以上を販売。中には、みかんやメロン、レモンなど何度か販売した種類もあります。
過去に販売していた「フレーバーカツゲン」。紙パックも色とりどりだ(伊丹恒撮影)

過去に販売していた「フレーバーカツゲン」。紙パックも色とりどりだ(伊丹恒撮影)

「雪印解体」でも人気衰えず

 北海道内で乳酸菌飲料の地位を築いたカツゲンですが、試練に見舞われます。2000年、雪印乳業が起こした集団食中毒事件です。北海道の大樹工場(十勝管内大樹町)で製造された脱脂粉乳を原料とする低脂肪乳などによって食中毒が発生。関西を中心に発症者数は1万人を超えました。消費者の信頼を大きく失った雪印の売り上げは激減し、グループは存続の危機に立たされます。
 雪印乳業は再建策として、カツゲンを含む牛乳・乳飲料部門を切り離し、03年に「日本ミルクコミュニティ(MC)」(東京)を設立しました。牛乳の主力ブランドは「雪印牛乳」から「メグミルク牛乳」に変わるなど、名称変更を余儀なくされた商品もあります。
 しかしカツゲンの人気は衰えませんでした。今も事件前の形で存続している数少ない商品となりました。日本MCは2011年に雪印乳業と再合併、雪印メグミルクとして再出発しています。
1956年ごろに販売していた瓶と、紙パック「あのころのカツゲン」(伊丹恒撮影)

1956年ごろに販売していた瓶と、紙パック「あのころのカツゲン」(伊丹恒撮影)

 現在、カツゲンを製造販売する雪印メグミルクは、発売開始60年を迎えた2016年に昔の濃い味わいを再現した「あのころのカツゲン」(200ミリリットル入り)を2カ月限定で発売。コンビニで先行販売したところ売り切れが続出しました。当時を知る社員は「復刻版ブームもあり、数年前から販売を企画していました。工場をフル操業しましたが、スーパーには予定量を届けられませんでした」と振り返ります。これまでにカツゲンにちなんだゼリーやソフトキャンデーなどの関連商品も販売されています。

「勝つ源」で験担ぎ

 存続の危機を乗り越えたカツゲンは「勝つ」に通じると、験担ぎで愛飲する受験生やスポーツ選手が増えてきました。その機を逃さず2005年、日本MCがカツゲン唯一の製造拠点である札幌工場内に「勝源神社」を建立しました。神主が祝詞を上げた、れっきとした神社です。名門・雪印のスキー部が参拝しているほか、受験シーズンには合格・必勝祈願のメッセージ入りのカツゲンを販売しています。
受験シーズンに店頭に並ぶソフトカツゲン。特別パッケージには桜の花のイラストがある(伊丹恒撮影)

受験シーズンに店頭に並ぶソフトカツゲン。特別パッケージには
桜の花のイラストがある(伊丹恒撮影)

 神社は現在、札幌工場に隣接する「酪農と乳の歴史館」内にあります。バターやチーズなどに加え、カツゲンの歴史も知ることができます。ほこらには「ご神体」として、発売初期に使われていたカツゲンのガラス瓶がまつられています。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年2月から休館していましたが、23年2月から見学を再開しました(事前予約制)。菅谷正行館長(58)によると、コロナ禍前は年間約1万7千人が来館していて「中には『勝源神社だけ参拝したい』という人も少なくありません」と話します。
カツゲンを由来とする勝源神社。受験生やスポーツ選手が参拝に訪れる(伊丹恒撮影)

カツゲンを由来とする勝源神社。受験生やスポーツ選手が参拝に訪れる(伊丹恒撮影)

 

 戦争や事件といった大きな試練を乗り越え、70年近くのロングセラー商品となったカツゲン。菅谷館長は「今後も大きく味は変わることはないでしょう」と推測します。活素から始まったカツゲンは、これからもほどよい甘さで北海道民ののどをうるおしてくれそうです。

(参考:ほっかいどう新聞Dセレクト)

コメント

タイトルとURLをコピーしました