スポンサーリンク

なまらあちこち北海道|新根室プロレス再結成、巨大パンダレスラーも復活

スポーツ

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分17 秒です。

一度解散した「新根室プロレス」が復活しました。代表のサムソン宮本さんが亡くなってから、解散をしたものの、残ったメンバーが代表の遺志を引き継いで復活に心血を注ぎ、めでたく再スタートをすることが決定し、この度お披露目をしました。

 

新根室プロレス再結成 亡き代表への思い胸に パンダレスラーも復活

リング上で、対戦相手と向き合う「アンドレザ・ジャイアントパンダ」(右)。体長3メートルあります=2022年10月

リング上で、対戦相手と向き合う「アンドレザ・ジャイアントパンダ」(右)。
体長3メートルあります

 全国のファンに惜しまれながら2019年末に解散した根室市のプロレス愛好家団体「新根室プロレス」が6月3日、根室管内別海町のイベントで3年半ぶりに再結成します。「無理しない けがしない 明日も仕事」をモットーに、体長3メートルの着ぐるみレスラー「アンドレザ・ジャイアントパンダ」などで人気を博した新根室プロレス。

 

2020年9月にがんの一種・平滑筋肉腫のため55歳で亡くなったサムソン宮本代表が病気治療に専念するため、いったんは解散しましたが、メンバーたちは「亡き代表の『お客を楽しませる』という教えを受け継ぐ」と意気込んでいます。(根室支局 先川ひとみ)

 

生前のサムソン宮本さん。人を笑顔にさせることに力を尽くしていました=2019年10月、根室市内(小松巧撮影)

生前のサムソン宮本さん。人を笑顔にさせることに力を尽くしていました

 

 生前のサムソン宮本さんは、「アンドレザ・ジャイアントパンダ」を生み出すなど、アイデアマンでした。平滑筋肉腫と闘いながら全国を飛び回っていましたが、2019年の解散後は、治療に専念しました。

 残されたメンバーは、サムソン宮本さんの遺言に基づき、2021年9月に根室で一周忌、2022年10月に東京で三回忌の特別興行を行ったほかは、本格的な活動は行ってきませんでした。
 サムソン宮本さんの弟で「オッサンタイガー」名で登場する宮本賢司本部長(50)は、「興行が無い間、生きがいを失ったような気持ちになった。俺たちにはプロレスしかないと気付かされた」と語ります。サムソン宮本さんの遺言を果たし、新型コロナウイルスの感染対策も緩和されたことから、6月にメンバー19人で再スタートを切ることとしました。
ファンの記念撮影に応じる「アンドレザ・ジャイアントパンダ」

ファンの記念撮影に応じる「アンドレザ・ジャイアントパンダ」

 

 新根室プロレスの出発点はインターネットのオークションサイトに出品されていた100万円のリングです。新品の3分の1ほどの価格でサムソン宮本さんが購入し、プロレス好きの友達や、経営する玩具店に出入りする客らに参加を呼びかけました。
「おれたちはここから始まった。新根室プロレスの象徴で、夢をかなえてくれる魔法の舞台だ」。
生前、サムソン宮本さんはこう語っていました。旗揚げ興行は2006年9月。興行を重ねるごとに固定ファンが付き、メンバーが増えました。
興行で技を決めるTOMOYAさん(いずれも左)=2022年10月(新根室プロレス提供)

興行で技を決めるTOMOYAさん(いずれも左)

 2017年9月、根室の三吉神社例大祭の興行でホームデビューした「アンドレザ・ジャイアントパンダ」を取り上げた北海道新聞地域面の記事がツイッターで発信され、全国のプロレスファンに一気に知られる存在となりました。

 元SMAPの3人が出演したインターネットテレビの番組に招かれましたし、プロの団体の試合にも出場しました。全国紙や週刊誌でも紹介され、興行の依頼も殺到しました。
賢司さんは「ツイッターで『でかいパンダがいる団体は一体何だ』『北海道の東の端の素人集団らしいぞ』などと驚かれた。『無理しない けがしない 明日も仕事』という僕らのモットーや、プロレスに詳しくない人でも楽しめる演出も注目され、支持が広がっていった」と振り返ります。
根室市の石垣雅敏市長(手前)から感謝状を受け取る新根室プロレスのサムソン宮本さん(中央奥)。後方に「アンドレザ・ジャイアントパンダ」

根室市の石垣雅敏市長(手前)から感謝状を受け取る新根室プロレスのサムソン宮本さん

 

 本格的に活動を再開する新根室プロレスで、中心となるのは「エース」で最年少メンバーのTOMOYA(トモヤ)さん(25)。
「子どもにも面白いと思ってもらえるよう引っ張っていきたい」
と張り切っています。その胸にあるのは、生前のサムソン宮本さんから託されたメッセージです。

 

 サムソン宮本さんの遺言に沿って東京で行われた2022年の「三回忌メモリアル」興行。満員の約250人の観客を集めた試合終了の後、暗転した会場に、サムソン宮本さんが亡くなる2週間前に撮影した映像が流れました。映像の中で、サムソン宮本さんは、TOMOYAさんに語りかけました。「TOMOYA。新根室プロレス、おまえに任せたぞ」。TOMOYAさんは「代表に認められたようでうれしかった。気が引き締まる思いだった」と振り返ります。

 

 「アンドレザ・ジャイアントパンダ」は、活動休止まで根室市内では交通安全のポスターに登場したり、地域のイベントでも活躍していました。2019年12月には、根室市が、結成以来13年間にわたり多くの人に笑顔と元気を与えてくれたとして新根室プロレスに感謝状を送りました。「アンドレザ・ジャイアントパンダ」の復活を楽しみにしている根室市民も多いです。

 

div class=”paragraph”> 賢司さんは「プロレスをやっている時間は非日常。まるで大人の文化祭。代表の『お客さんを喜ばせる』という教えを受け継ぎ、子どもからお年寄りまで楽しんでもらいたい」と話します。

 サムソン宮本さんは2019年の北海道新聞のインタビューでこう語っています。「東京興行で皆さんからいただいたサムソンコールや、『新根室プロレスを復活させてください』という言葉を聞き、またリングに立ちたいと思いました。病気に勝って、リングに戻ってきたいと思います」。
 サムソン宮本さん本人の思いを、残されたメンバーたちがかなえる舞台は整いつつあります。

(参考:北海道新聞ニュースレター)

【スポンサーリンク】

コメント

タイトルとURLをコピーしました