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なまらあちこち北海道|「杉谷いじり」引退試合の舞台裏

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プロ野球「日本ハムファイターズ」の杉谷選手が「前進」しました。最後の日の様子が報告されています。心がほのぼのとします。

最後の「杉谷いじり」、両チームから胴上げ… 

試合後、両チームの選手に胴上げされる杉谷(大島拓人撮影)
試合後、両チームの選手に胴上げされる杉谷

プロ野球北海道日本ハムの杉谷拳士内野手(31)が5日の野球日本代表「侍ジャパン」との強化試合を最後に、14年間のプロ野球の選手生活に幕を下ろしました。

明るいキャラクターで全国のプロ野球ファンから愛された人気選手。サプライズの「杉谷いじり」のアナウンスや両チームの選手たちによる胴上げなど、多くの人に親しまれた杉谷らしい「引退試合」となりました。

杉谷への惜別は試合前から始まっていました。

日本ハムの練習の最後、打撃ケージに杉谷が入ろうとすると、普段はベルーナドームでアナウンスを務める西武球団職員の鈴木あずささん(札幌市出身)がサプライズで登場。ユーモアと愛情たっぷりの最後の「杉谷いじり」が行われました。

鈴木さんアナウンス

「この数日、ざわめくハートを持て余している、全国の杉谷拳士選手ロスのみなさま、大変長らくお待たせいたしました。その人気は今や侍ジャパン超え。球界大注目のみなさまの杉谷拳士選手が最高にただいま前向きにバッティング練習を行っております。みなさんきょうが最後のチャンスです。よろしければ、ご注目ください」

「スタンドのみなさま、ただいま、杉谷選手がバッティング練習を行っておりますが、練習中、控えめに言って、控えめな打球が、思いのほか鋭い打球が、まれにスタンドに入ることがございます。大変危険ですので、杉谷選手の打球の行方にはみなさまどうぞ、最後までご注意ください」

そして最後には
「杉谷拳士選手のバッティング練習、終了です。杉谷選手、これまで本当にたくさんのすてきなお時間、ありがとうございました」。

粋な演出に打撃練習を終えた杉谷は、放送ブースにいる鈴木さんに向かってヘルメットを脱ぎ、一礼。東京ドームは大きな拍手に包まれました。

「杉谷いじり」のきっかけは2014年に杉谷自ら「杉谷選手、バッティング練習あと10分ですって言ってください」と鈴木さんに頼んだのがきっかけ。ウイットに富んだ鈴木さんのアナウンスはプロ野球ファンの中で大きな話題となり、ビジターの西武戦の試合前の打撃練習で恒例となっていました。

鈴木さんのサプライズアナウンスについて杉谷は聞かされていなかったということです。「今日来ることを僕は知らなかったので、心の中で『あー最後、鈴木さんがアナウンスしてくれたらいいなぁ』と思っていました。『バッティングも最後だしなぁ』と思いながら。そしたら東京ドームの方がアナウンスして鈴木さんを紹介して鈴木さんに代わった時には『えっ?』と思って。本当に幸せな野球人生だったなと思いながらバッティング練習をさせてもらいました」

東京都練馬区出身の杉谷にとってベルーナドームは「小さい頃にプロ野球選手のシートノックや練習を見て、いつかプロ野球選手になりたいと思った、きっかけの地でした。

こうしてプロ野球選手になった時に、鈴木さんとの縁で僕のことをイジっていただいて、周りの方たちにも認知されて、たくさんの人に声をかけられて応援してもらえるようになった。本当に鈴木さんを始め、西武の方たちの配慮もあったかなと思って、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

試合ではスタメン起用も打診されましたが「真剣勝負の場で自分は辞める身。こういう機会を設けて頂き、本当に1打席立たせてもらえればありがたい」と固辞したそうです。

そして出番は七回無死一塁で代打でした。

ただ、ここでも杉谷らしい“ハプニング”が起こったのです。地上波で放送していたテレビ中継が終わるタイミングで「ネクストに立った時には、地上波は15時半で終わると僕も知っていたので、ちょうど見たら15時半で『うわ、俺らしいな』って。『これ、ネクストで(中継が)終わってんだろうな』と思っていました(笑)」

実際に打席に立つ前に中継は終わっており、聞かされた杉谷は「みたいですね。みんなから連絡来てました。『おい』って(笑)」

それでも打席では「14年間分の思いを打席に込めたかったのでとにかく打ってやるぞという思いでした」。結果は4球目の149キロの直球を捉えるも右飛。

対戦した高橋宏(中日)は今季高卒2年目で将来を嘱望される20歳。「初めて対戦しましたけど、将来、日本一になるような投手の打席に立たせていただいて本当に幸せでした。なんとかヒットを打って終わりたいなと思ったけど、いろいろなこと考えて、前に飛んだらいいなという後ろ向きな気持ちになってしまったのでこれからの人生は後ろを向かないように、前を向いて頑張っていきたいですね。高橋君は強いまっすぐを投げ込んでいて、本当に魂にきました」とたたえていました。

ベンチに戻る時には「打席が終わって、よし終わったと思って、ベンチを見て、もちろんみんなが出迎えてくれていたことがうれしかったんですけども、両親に目が行ってしまいまして。もうそこでウルウルきてました」

プロボクシングの元日本チャンピオンで渡島管内南茅部町(現函館市)出身の父満さんと母真寿美さんの姿に感極まったといいます。

新庄監督にも抱きしめられて号泣しました。「ガーガー泣いたのであまり覚えていないですけど『本当にお疲れさまだね』と言われたので、『1年間貢献できずにすみませんでした』と伝えました。『そんなことないよ、楽しかったよ。本当にお疲れさま』と言われてワンワン泣いてしまいました」

新庄監督は杉谷について「やっぱり愛されるということは一番のポイント」と人間性を評価していました。今後についても「どんどんテレビに出てもらって。彼の素晴らしいのは元気な部分だけじゃない。すごく真面目で人のことも考えて、いろいろな杉谷君がいる。そこをこれからはアピールというか、普通に出してくれたらどんどん新しい杉谷君が生まれてくると思う。そこから最終的にはもう一回ユニホームを着て、恩返しをしてもらえればうれしい」と今後の活躍にも期待していました。

試合後には両チームによる胴上げでねぎらわれました。
「本当に僕もびっくりした。本当に今までずっと野球しかやっていなかったけど、歩んできた道が間違ってなかったんだなと思えるような、そんな幸せな瞬間でした」

さらにファンへのあいさつで球場内を一周。「本当はもっとゆっくり回って一人一人に14年間分の感謝の気持ちを伝えたかったけど、やっぱりビジターなので。みんな移動もあるので、ちょっと小走りになって、あいさつをさせてもらった。でもやっぱり(応援)ボードとか見て、1年目の時から応援してくれている方のボードだなぁと思ったり、横断幕の『ありがとう杉谷拳士』っていうのを見た時には、先ほども言いましたけど、歩んできた野球人生、本当に間違ってなかったなという思いがありました」と気遣いをみせながら、感慨にふけっていました。

異例の日本代表との強化試合で引退となった杉谷。ただ、結果的に日本ハム時代に10年間指導を受け、恩師という侍ジャパンの栗山英樹監督や、満員の東京ドームで全国のプロ野球ファンの前で引退の花道を飾った形になりました。

今後の第二の人生について「今日(5日)、この後、いろいろな生放送の話をたくさん頂いたんですけど、今日ばっかりは余韻に浸らしてくださいと。まだ北海道の人たちに感謝の気持ちを伝えられていないので、明日(6日)からは北海道に帰って、道民の皆さまに14年間終わりましたと感謝の気持ちを伝えるためにテレビのお仕事を入れさせていただきました。まずは北海道から、そして全国の皆さまに、14年間幸せな気持ちで野球ができたということを伝えていきたいなと思います」と恩返しを約束しました。

(参考:北海道新聞電子版)

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