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なまらあちこち北海道|エンジョイ高校野球・遠軽出身の元野球部長語る

スポーツ

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「エンジョイ・ベースボール」慶応義塾高校野球部が掲げてきた精神が、107年ぶりに開花し、見事全国優勝を果たしました。そんな野球部の精神を野球部長として支えてきた人がいます。遠軽町出身の七條義夫さんです。

夏の甲子園 その先の楽しさのため 苦しくても頑張れた エンジョイ慶応優勝 遠軽出身の元野球部長・七條さん

107年ぶり2度目の優勝を果たした慶応の選手に声援を送るアルプス席の観客=8月23日、甲子園

107年ぶり2度目の優勝を果たした慶応の選手に声援を送る
アルプス席の観客=8月23日、甲子園

 七條さんは、遠軽高から慶大に進み、慶応高の教諭に。ロンドン大大学院修了、同大客員研究員を経て、2002年から昨年まで部長、副部長を務めました。春夏6度の甲子園出場や明治神宮大会優勝を経験。自身は野球選手としての経験はありませんが、選手の自主性を重んじる「エンジョイ・ベースボール」を掲げた上田誠・前監督とは二人三脚で野球部を運営してきました。

慶応高野球部の部長・副部長を長年務めた七條義夫さん(本人提供)

慶応高野球部の部長・副部長を長年務めた七條義夫さん(本人提供)

 04、05年の駒大苫小牧以来の2連覇を狙った仙台育英(宮城)との決勝は、アルプス席で見届けました。慶応の応援歌「若き血」の大合唱が起こるなど、球場全体を巻き込むような、一丸となった応援が選手たちを後押ししました。
「(慶応では)『愛塾精神』と言うが、母校愛に燃えてすごい応援でした。私が部長をしていた時も相手チームがよく『(慶応の応援は)嫌なんだよなあ』と言っていました」。試合は慶応が一回に先頭打者本塁打で勢いをつけると、中盤に大量5得点。終始、王者を圧倒した展開になりました。
 エンジョイ・ベースボールを実践してきた慶応の大村昊澄(そらと)主将は、試合後の優勝インタビューで「高校野球の常識を変えたいとさんざん大きいことを言ってきて、笑われることも、いろいろ言われることもあったが、それに耐えて、そういう人を見返して『自分たちが絶対日本一になってやるんだ』という強い思いで頑張ってきたので、全部報われた」と話していました。
閉会式で優勝旗を受け取り笑顔の慶応・大村主将=8月23日、甲子園

閉会式で優勝旗を受け取り笑顔の慶応・大村主将=8月23日、甲子園

 それを聞いた七條さんは「結局、野球を何でやっているのかといったら、楽しいからだと思う。練習は当然苦しいのは苦しいが、やめないのはその先に楽しさがあるから。それが僕はエンジョイ・ベースボールだと思う」と受け止めています。
決勝で仙台育英を破り、髪をなびかせて応援席へ駆け出す慶応の選手たち=8月23日、甲子園

決勝で仙台育英を破り、髪をなびかせて応援席へ駆け出す
慶応の選手たち=8月23日、甲子園

 七條さんによると、丸刈りではない髪形は「あれは(慶応では)伝統的に、明治(時代)から普通の髪」で、今に始まったことではないといいます。その上で「スポーツマンらしい格好をして、楽しんで、やるときは全身全霊を傾けて、勝つために努力をする。こういう野球があってもいいんだとなればいい」と優勝による今後の効果にも期待していました。
 部長時代の06年には「KEIO日本一」という横断幕を作った。「(甲子園に)出るだけで満足していたら上はない。常に(日本一を)意識して練習してほしい」という思いを込めた優勝が、現実となったのです。現在は野球部史の編さんを担っていますが「107年前の(優勝時の)モノクロ写真は見ていたが、今回(優勝した)カラー写真が加わるんですね」と感慨深げに話していました。
笑顔で記念写真に納まる慶応と仙台育英の選手たち=8月23日、甲子園(代表撮影)

笑顔で記念写真に納まる慶応と仙台育英の選手たち
=8月23日、甲子園(代表撮影)

七條さんは「グラウンドはもう一つの教室だ」と選手たちに伝えてきました。今年の甲子園のグラウンドはどうだったのでしょうか。
「日々グラウンドにいるだけでも、教室ではできない体験をする。(それ以上に)全国大会やその決勝は成長がある」。自身は今年、日本高校野球連盟から育成功労賞を受けました。その年に107年ぶりの快挙が重なり、「記念すべき年になった」と教え子たちの躍動に感謝していました。
(参考:北海道新聞デジタル版)

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