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なまらあちこち北海道|北の国から40年記念・富良野

北海道

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最終作「北の国から2002遺言」のロケで勢ぞろいした田中邦衛(中央)、吉岡秀隆(左から2人目)、中嶋朋子(右端)ら=2002年3月
勢ぞろいした田中邦衛(中央)、吉岡秀隆(左から2人目)
、中嶋朋子(右端)ら=2002年3月

うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わる。2020年まで上智大教授。こやま・くんどう 1964年、熊本県生まれ。「料理の鉄人」などテレビ番組を多数企画。映画「おくりびと」で脚本を担当。「ドラマの最初は純の視点だったが、だんだん五郎の視点に変わっていった」と振り返る倉本聰さん=2021年12月、富良野市内の「富良野自然塾」アトリエで

富良野を舞台にしたテレビドラマ「北の国から」シリーズ。昨年は放送開始40年、今年は最終作から20年と節目が続きます。

美しい大自然、家族愛といった文脈で語られがちですが、果たしてそれだけでしょうか。同作に詳しい作り手と評論家、脚本の倉本聰さんに、今もドラマを古びさせない「苦い本質」を聞きました。

子どもを故郷に連れ帰った場面が「ドラマの象徴」 評論家・碓井さん

幕開けとなった連続ドラマの放送は1981~82年。バブル景気へと向かう一方、北炭夕張新炭鉱ガス突出事故と閉山など、繁栄する都会と衰退する地方の対比が浮き彫りにもなった頃です。

メディア文化評論家の碓井広義さんが「ドラマの象徴」として挙げるのが、第1話。主人公・五郎(田中邦衛)が子どもたちを故郷に連れ帰った場面です。廃屋のような家を見て、都会生まれの長男・純(吉岡秀隆)が驚き五郎に訴えました。

純「電気がなかったら暮らせませんよッ」
五郎「そんなことないですよ(作業しつつ)」
純「夜になったらどうするの!」
五郎「夜になったら眠るンです」

蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押すと明かりが付く。人間が本来やるべきことを、お金を払えば他人や機械がやってくれる時代に「『ちょっと待て、その生き方でいいのか、日本人』という問い掛けをした」と碓井さんは指摘します。

五郎と倉本さんは同じ35年(昭和10年)生まれ。五郎は帰郷、倉本さんは移住という違いはあれど、ともに40代で東京から北海道に移りました。五郎一家が遭遇する大自然の猛威と美しさ。都会と地方の意識のずれ。文明と人間。作品で描かれるこうした対比は「倉本先生自身が富良野で経験したこと」と碓井さんは語ります。

「『北の国から』は『ロビンソン・クルーソー』のように現代社会を合わせ鏡に映す、現代の寓話(ぐうわ)と言えます」

 倉本さんは連続ドラマの放送中、北海道新聞にこんな寄稿をしていました。

人類が営々と貯えて来た生きるための知恵、創る能力は知らず知らずに退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した。(82年1月5日付北海道夕刊)

人間の「どうしようもなさ」を描く 脚本家、放送作家・小山さん

これを踏まえ、小山さんは「北の国から」について「都会と田舎の対比を通し、人間の生き方の本質を描いている」と表現しています。

象徴として挙げるのは「北の国から’95秘密」の一場面。恋人シュウのアダルトビデオ出演という過去にこだわる純に、五郎が告げます。

五郎「ゴミの車に乗るようになってから、お前年じゅう手を洗うようになったな」
純「――」
五郎「お前の汚れは石鹸(せっけん)で落ちる。けど石鹸で落ちない汚れってもンもある」
純「――」
五郎「人間少し長くやってりゃ、そういう汚れはどうしたってついてくる」
純「――」
五郎「お前にだってある」
純「――」
五郎「父さんなンか汚れだらけだ。そういう汚れはどうしたらいいンだ。え?」
純「 間。」
五郎「行ってあげなさい。行ってもいちど、全部さらけ出して」

 

家族や故郷を大切にする五郎も、嫉妬したりメンツにこだわったり、ときに軽薄だったり弱音を吐いたりします。純粋に生きる純や妹の螢(ほたる)(中島朋子)も、うそをついたり裏切ったり、不倫をしたり―。小山さんは「他人との対比ではなく、一人の人間の中の『美しさ・強さ』と『醜さ・弱さ』の共存、そのどうしようもなさが描かれる」と分析しています。

作品の印象的なせりふを集めた「『北の国から』黒板五郎の言葉」を編んだ碓井さんは言います。「人は白黒付けられるものじゃなく、グレーの部分にこそ人間の真実があります。このドラマは、あるときは暗くて重くてつらい。だからこそ、生きてて良かった、人間ってすてきだと思えるんです。そこに倉本先生の巧みさがあるのです」(せりふは理論社刊のシナリオ集から引用)

原点から物事見れば考え方広がる 倉本聰さん

「北の国から」について「“苦い薬”を糖衣錠にした」と語る倉本聰さんに、その意味を語ってもらいました。

 ――ドラマの根底にあるものは何でしょう。

「例えば最初の廃屋を修繕する場面。五郎にとって家は雨露をしのげればいい。だけど都会的なものの考え方は違う。別れた妻の令子なら修繕屋にお金を払ってやってもらうだろう。五郎にはそんな考えは全然なく、全部自分でやってしまう。そうした違いがこの話のもとにある」

 ――自身の体験もあるのでしょうか?

「こっちに移ってすぐの頃、道に畳大の岩が出ていて、重機もないし退(ど)かせない。農家の青年に聞いたら、やらねばならないならやるよ、と。どうするのかと思っていたら、スコップで岩の周りを掘って、丸太でテコの原理で少しずつ動かしていく。1日3センチ、10日で1メートル、確かに動いた。脱帽した。都会の感覚では動かないと決めつけてしまう。それができるかできないかという違い、そこが五郎と純の違いでもある」

 ――現代人が忘れかけている感覚ですね。

「(令子が亡くなり)五郎が上京する場面もそう。試写を見て、ディレクターに怒った。ワイシャツが真新しい。えりにアイロンがかかって、びしっとして。こんなワイシャツを持っているわけがない。しかも、汽車で2日もかけて来たのなら、くしゃくしゃになっているはずなんです。最初の連続ドラマの頃は、スタッフに(そうした感覚が)なかなか伝わらないから、毎日のようにロケ現場に行っていた。でも24回の放送が終わるころにはだんだん分かってくれましたね」

 ――ラーメン店で純の食べかけの器を早々と片づけようとする店員に、五郎が怒る場面も有名です。

「実はその場面の前で、五郎がしわくちゃの千円札を出しているんです。五郎たちのお金は日銭、時給いくらでもらうお金。ああいう状態のお金を渡されますよ。サラリーマンのようなきれいなものではない」

「つくる側は(五郎の暮らしの実感を)しっかりもっていないと、そういう(文明を問い返すような)作品はつくれないんです」

 ――現代の“当たり前”を捨ててみる考え方が、今も共感を呼んでいます。

「富士山に例えると、現代人は車で行ける5合目の視点でしか物事を見ていない。だけど、4合目、3合目と下がっていけば裾野は広がり、視野も選択肢も広がっていく。全然別の(登山)ルートも考えられるかもしれない。原点から物事を見れば考え方は広がるのに、それをしなくなったからおかしくなった。人間の暮らしとはどういうものか、海抜ゼロまで下がって考えたのが『北の国から』なんですよ」

情報

ケーブルテレビ「J:COM」は、昨年10月に富良野市内で行われた放送開始40周年記念トークショーを無料チャンネル「J:テレ」で繰り返し放送中。直近では2月11日(金)(祝)に第1部、18日(金)に第2部を、いずれも午後8時から放送します。是非ご覧ください。

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