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なまらあちこち北海道|巡り会った人に背中を押された、大相撲力士・一山本大生さん

スポーツ

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人との出会いが、大きく人生を変えることがあります。一度は相撲から離れて公務員の道を歩き始めた一山本関ですが、ある出会いがこの世界にきっかけとなりました。

巡り会った人に背中押された 大相撲力士・一山本大生さん

いちやまもと・だいき 本名山本大生。1993年、後志管内岩内町出身。8歳から相撲を始め、大野農業高を経て中央大へ。卒業後は渡島管内福島町役場で働き、新弟子検査の年齢制限緩和を受け二所ノ関部屋に入門。2017年1月に初土俵、21年7月が新入幕で、最高位は前頭7枚目。現在は放駒部屋に所属している。30歳。(金田翔撮影)
一山本大生(いちやまもと・だいき)
本名:山本大生。1993年生まれ。後志管内岩内町出身。8歳から相撲を始め、大野農業高を経て中央大へ。
卒業後は渡島管内福島町役場で働き、新弟子検査の年齢緩和を受け二所ノ関部屋に入門。
 2017年1月に初土俵、21年7月が新入幕で、最高位は前頭7枚目。現在は放駒部屋に所属している。
 大学卒業後、渡島管内福島町の役場職員を経て23歳で角界入りした異色の経歴の持ち主だ。昨年11月、30歳になって初めて迎えた本場所の九州場所では終盤まで優勝争いに加わって11勝を挙げ、自身初の三賞となる敢闘賞を獲得した。
 力士としての大きな目標に「三賞を取りたい」というものがあったので、達成できて良かった。昨年夏の北海道巡業は膝の調子が悪く、申し訳ないと思いながらも休場させてもらったのですが、これを機に下半身を鍛え直し、直後の秋場所で十両優勝、九州場所では三賞と結果が出ました。道内からたくさん祝いや激励が来るたびに、もう少し頑張らなきゃいけないという気持ちになります。
 後志管内岩内町出身で、小学2年の時、地元の少年団で相撲を始めた。高校は相撲部のある北斗市の大野農業高に進学した。
 4歳上の兄が少年団に入り、気付いたら自分も稽古をしていました。中学までは稽古が週3回ぐらいしかなく、そんなに大変ではなかったです。高校も兄と同じで、迷いはなかった。ただ、1年生の時に3年生が引退したあと、2年生の部員がいなかったので、冬の間、1年生の2人だけでずっと練習しなければいけなかったのは、どんなに厳しい稽古よりも精神的にしんどかった。寮生活で、自分と同じように遠くから来ていた先輩たちとの交流が、すごく楽しかったですね。
<あのころ>大学4年の東日本学生選手権で、中堅として団体戦に出た時の1枚です。1学年下で道内出身の矢後(本名・矢後太規、押尾川部屋の元幕内力士)など力のある仲間が多く、自分はチームで4、5番手ぐらいの実力。大学の名前を背負って戦うので、表情が硬いですね。
 大学は強豪の中央大に進み、4年時に全国学生選手権の個人戦で16強入りを果たした。相撲部屋からの誘いもあったが、卒業後は公務員の道を選んだ。
 人間は「自分で考えろ」と言われると楽な方に流れがち。その意味で「とにかく稽古」と言われ続けた大学時代、当時は嫌でしたが、今の自分に生きています。4年でようやくレギュラーになり、運良く結果が出ました。一方で、相撲を楽しいと思ったことはなく、プロになりたいとも考えていなかった。「やっと、きつい思いをせずに済む」という気持ちでした。卒業後は、北海道で地元の子供たちに相撲を教えながらアマ選手としても活動できればと思い、公務員になりました。
 2016年、福島町教育委員会で働きながら町内の相撲少年団で指導者となった。大相撲に興味はなかったはずだが、子供らに相撲を教えている数カ月のうちに「やはり自分には相撲しかない」と考えが変わる。
 少年団では、ただ相撲が強くなれば良いのではなく、社会に出るために必要なあいさつや礼儀を身につけることが大事だということを念頭に置きながら教えていました。そんな子供たちが相撲を頑張っている姿を見ていたら、「自分もまだまだ頑張れる」、「もう一回ちゃんと相撲をやりたいな」という思いがわいてきた。そう思い立ってから、休みの日は母校の大野農業高で稽古しました。その年の国体に出て、(ベスト16で終わり)もうちょっと真剣にやりたいなと考えた。ちょうど新弟子検査の年齢制限が23歳未満から25歳未満に緩和されたタイミングだったので、挑戦するなら一番上のクラスである大相撲にと考え、12月には仕事を辞めました。
 町役場入りからわずか1年足らずで安定した身分を捨てて角界に。初土俵から2年半かけて十両に昇進、さらに2年後に新入幕を果たしたが、2場所で十両に転落。復帰して幕内に戻ると、上位陣に混ざり優勝争いも経験した。厳しい勝負の世界に身を置き、日々どんなことを考えているのか。
 普段、部屋での稽古は午前中だけです。ただ、プロは結果が求められる。勝ち越せば番付は上がるので、本場所はそれをモチベーションにしています。あとは、場所後の1週間が休みなので、そこでゆっくり寝たり、おいしいものを食べたりすることが楽しみですね。また、相撲に取り組む時は集中しますが、それ以外では相撲のことはなるべく考えないようにします。起こったことは引きずらない。寝て起きたらリセットです。悩んでも仕方がない。
 浮き沈みの激しい相撲人生。中高生に贈る言葉として、色紙には「人とのつながり」としたためた。
 節目の決断は自分でしてきましたが、要所では高校の先生や大学相撲部のOB会長といった良い人に巡り会い、背中を押してもらいました。みなさんも、人とのつながりを大事にしてほしいです。
2月29日のTV番組「プレバト」に出演し、「大相撲」というお題に「生寿司が 苦手な僕は あさり汁」と読んで、5人中4位という結果でした。微笑ましいエピソード。
本場所では勝ち星を取る度に「一山本、二山本、三山本・・・」とファンが掲げてくれます。是非「十五山本」になって欲しいですね。
(参考:北海道新聞ニュースエディター)

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