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なまらあちこち北海道|栗山監督、侍ジャパンで世界一奪還

スポーツ

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皆さんもご覧になったと思いますが、侍ジャパンが3大会ぶりに優勝しました。感動を与えてくれましたね。野球の素晴らしさを改めて見せつけてくれました。
栗山町でも町民が大喜びしている姿が印象的でした。今回は日ハム関係の人が多かったですよね。そういう意味でも北海道を誇りたいと思います。

栗山監督、野球人気復活の使命も果たす WBC世界一奪還

WBC決勝前のセレモニーで大谷を先頭に入場する日本代表
 悲願の世界一奪還でした。野球の国・地域別対抗戦、第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)野球日本代表「侍ジャパン」は21日、米マイアミのローンデポ・パークで米国と決勝を行い、3―2で競り勝ち、第2回大会以来、3度目の頂点に立ちました。
 厚い人望と情熱で大谷翔平(28)=大リーグ・エンゼルス=らを代表に招集し「史上最強」の侍ジャパンを実現した栗山英樹監督(61)。野球人気復活を使命とし、見事に役割を果たしました。
 九回、7番手でマウンドに上がった大谷翔平が最後の打者トラウトを三振で打ち取ると、栗山監督は喜びを爆発させ、選手たちと熱い抱擁を交わしました。目標としてきた米国を決勝の舞台、さらに相手の本拠地で下すという快挙でした。
 栗山監督の日本代表監督就任は2021年12月。10年間務めた北海道日本ハムの監督を退任してから約1カ月しかたっていませんでした。「責任が重いし、結果を残さないといけない」とためらいもしましたが、「やるべきことがあるかもしれない」と重責を引き受けたのです。
 栗山監督は近年の野球界について「過渡期」という言葉を繰り返しています。野球人口の減少は続き、東京五輪で復活した競技も、パリ五輪では再び実施されない状況です。主力選手の世代交代の時期にも差し掛かり、将来に危機感を抱いていました。
 栗山監督は何かを決める際、30年後の野球界を想像して決断するという。「僕が子供のころは野球をやっていなくても王(貞治)さん、長嶋(茂雄)さんが憧れだった。人間的にもかっこよかった」の言葉に熱がこもります。そして「みんなが憧れる、そんな存在にプロ野球があり続けられるか。そういう世界にしていく必要がある」と誓ったのです。
 今大会の日本代表は大リーガーの大谷やダルビッシュ有(36)=大リーグ・パドレス=らが参戦し、国内組では村上宗隆(23)=ヤクルト=や佐々木朗希(21)=ロッテ=などこれからの野球界を担う若い逸材も代表入りしました。今回のWBCが野球界復活のきっかけになると、強い信念で選手や各球団に協力を求めました。
 06年の第1回大会で監督を務め、初代王者となった王貞治ソフトバンク球団会長(82)は「栗山君じゃなかったら大谷君やダルビッシュ君も出たか分からない。彼の功績は大きい」と幅広い人脈を持ち、選手に寄り添った指導をする栗山監督でなければ実現できなかったチームだと強調しています。
 「史上最強」の侍ジャパンに世間は熱狂しました。宮崎合宿から多くのファンが駆けつけ、地上波のテレビ中継の視聴率は連日40%を超えました。野球が話題の中心になり、栗山監督がかつて語っていた「集まればみんなが野球の話をする。もしそうなってくれれば幸せだよね」という願いを実現したのです。
 準決勝のメキシコ戦で見せた土壇場での逆転劇は見る人の心を揺さぶりました。栗山監督も試合後の会見で「勝ち負けは別として『野球ってすげーな』って、やっている方が感動したし、見ている人たちにもすごいなと思ってもらえたらうれしい」と涙ぐむ場面もあったほどです。野球の魅力が凝縮された大会でもありました。
 多くの人を巻き込み、熱くしたWBCが終わりました。「みんなが野球のこと考えると、子供たちに伝わったり、野球をやる環境が広がったり、プロアマ問わずこれからの野球界を考えるきっかけになると思う」と栗山監督が思い描いていた理想を現実とし、有終の美を飾ったと言えるでしょう。
 侍JAPAN,世界一おめでとう!、そしてありがとう!

(参考:サムライジャパン・オフィシャルサイト、北海道新聞ニュースエディター)

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