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なまらあちこち北海道|日ハムへFA加入の山崎福也、脳腫瘍の過去が

スポーツ

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オリックスからFA加入した日本ハム・山崎福也投手が、実は過去に脳腫瘍の手術を受けていました。そんな過去の中に北海道とかかわりの深い出来事がありました。

【日本ハム】FA加入の山崎福也、中3の冬に脳腫瘍が発覚 「生存率10%」からの回復

術後、食事をする山崎福也(本人提供)
術後、食事をする山崎福也(本人提供)
術後、病院のベッドで横になる山崎福也(本人提供)
術後、病院のベッドで横になる山崎福也(本人提供)
術後、病院のベッドで横になる山崎福也(本人提供)
術後、病院のベッドで横になる山崎福也(本人提供)
沢村医師(左)と写真に納まる山崎福也
沢村医師(左)と写真に納まる山崎福也

 オリックスからFA加入した日本ハム・山崎福也投手(31)が6日、エスコンで入団会見を行いました。4年総額10億円(金額は推定)で背番号は18。新庄監督から来季の本拠地開幕戦(4月2日、対楽天)の先発を言い渡され「うれしいですし、勝たないといけない」と決意を新たにしました。

 山崎福也と北海道は切り離せないことがあります。「生存率10%、余命7、8年です」。脳腫瘍が発覚し、宣告されたのが中学3年の冬。名門・日大三へ進学が決まっていた時のこと、関東の病院を転々とし「北海道にすごい先生がいる」と聞きました。北大病院(当時)の沢村医師と出会ったのです。

 2008年3月21日が手術日。前日は札幌ドームに出かけました。日本ハムの開幕戦。ダルビッシュがロッテ相手に完封勝利を挙げた日です。「球場全体があんなに揺れるなんて…」。三塁側で稲葉ジャンプを体感し、頑張るための力をもらったと感じました。

 執刀した沢村医師も必死でした。「こんなに元気な野球少年に、何かが起こるのは見たくない」。術後は41度の高熱にも苦しみまし。まだ寒い3月の北海道。上半身裸で窓を全開にし「野球をやりたい」とつぶやきました。病室には常にボールやダンベルを置いていました。

手術のわずか1週間後、聖望学園で高校球児だった兄・福之さんを応援に甲子園へ向かい、センバツの決勝戦を目に焼き付けました。強い気持ちが、再起へとつながったのです。

 幼少期に日本ハムコーチだった父・章弘さん(62)に連れられ、鎌ケ谷で遊んだ思い出があります。「一緒にお風呂にも入ってくれた」と特にかわいがってくれた森本外野守備走塁コーチとも再会しまし。ずっと、心の奥底にあった恩返しの思い。全身全霊で左腕を振ることになります。(オリックス担当・長田 亨)

 ◆沢村医師と再会 〇…山崎が中学3年時、脳腫瘍の手術を担当した沢村豊医師(70)が会見にサプライズ登場しました。当時から家族ぐるみで交流が続いており、沢村氏は「北海道でも活躍してくれると信じている。本当にうれしい気持ちでいっぱい」と再会を喜びました。

生存率10%とも言われる手術を乗り越えた山崎は日大三高進学後、各地の病院への慰問活動を続けてきました。「人としてぶれない、立派さを感じます」と人柄を明かしました。

(参考:スポーツ報知)

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