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なまらあちこち北海道|日本一食べにくいお菓子はこうして生まれた・三星の「よいとまけ」

グルメ

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三星の「よいとまけ」は日本一食べにくいお菓子として有名ですが、なぜこのようなものが生まれたのでしょう。そこにはある意図がありました。

三星のロングセラー「よいとまけ」 「日本一食べにくいお菓子」はこうして生まれた

 道内の土産物店で目にする、苫小牧市の老舗菓子店「三星(みつぼし)」のロールカステラ「よいとまけ」。カステラの表面にハスカップのジャムを塗った逸品で、ほおばるとハスカップの酸味と昔懐かしいカステラの素朴な甘さが口いっぱいに広がります。
 でも、表面がベタベタして、とにかく食べにくい…! 三星自身も「日本一食べにくいお菓子」と自認しています。なぜ、わざわざ食べにくいお菓子をつくっているのでしょうか。そして、どう地元で浸透し、70年以上のロングセラーとなっているのでしょうか。そのワケと、よいとまけの今を探りました。
三星のロールカステラ「よいとまけ」(岩崎勝撮影)

三星のロールカステラ「よいとまけ」

 4月下旬、苫小牧市内にある工場を訪れると、外にもカステラの甘い香りが漂っていました。「ここでよいとまけを製造しています。工程の多くが手作業で、社員ほぼ総出の約20人体制でつくるんですよ」。企画広報課の佐藤巧課長が、製造ラインを案内してくれました。
よいとまけの工場を案内してくれた佐藤巧企画広報課長(岩崎勝撮影)

よいとまけの工場を案内してくれた佐藤巧企画広報課長

 

よいとまけの製造ライン(岩崎勝撮影)
よいとまけの製造ライン(岩崎勝撮影)

 まずはロールカステラづくりです。材料は小麦粉、卵、砂糖といった昔ながらのシンプルな材料のみ。機械で材料を混ぜて薄く伸ばし、オーブンでふっくらと焼き上げます。
オーブンで焼き上がったロールカステラの生地(岩崎勝撮影)

オーブンで焼き上がったロールカステラの生地

 

カステラに特製のハスカップジャムをハケで塗る(岩崎勝撮影)

カステラに特製のハスカップジャムをハケで塗る

 カステラの内側に、甘さを調整した特製のハスカップジャムをハケで塗って、手作業でくるくると丸めます。そして、いよいよクライマックス。ロールカステラの外側をジャムでコーティングしていきます。どういう風に作業しているのでしょう……。
ハスカップジャムが滝のように降り注ぐ

ハスカップジャムが滝のように降り注ぐ

 機械から流れ出るハスカップジャムが、ロールカステラに滝のように大量に降り注いでいました! 勢いよく大量のハスカップジャムをかける前工程と、ハスカップの実が商品にしっかり載るようにゆっくりとジャムをかける後工程の二段構え。
 佐藤課長が「よいとまけ1個に、どれぐらいジャムを使っているのかわからない」と言うほど、ふんだんな量です。
たっぷりハスカップジャムを塗られたロールカステラ(岩崎勝撮影)

たっぷりハスカップジャムを塗られたロールカステラ

 ジャムを塗った後は、グラニュー糖をまぶし、オブラートで包みます。1切れごとの小分け商品もありますが、最もスタンダードな1本ものは多い日で1日6~7千本を製造し、年間約50万本を全道各地に出荷しています。

 よいとまけは、戦後間もない1953年に誕生しました。製法や味は、今でもほとんど変わっていないそうです。なぜ、わざわざ食べにくい形なのでしょうか。そこには初代社長の苫小牧のマチに対する熱い思いがありました。

 

苫小牧への思い、お菓子の形に

 三星は1898年(明治31年)に小樽で誕生し、菓子とパンを製造していました。創業者は、日本を代表するプロレタリア文学「蟹工船」で知られる作家、小林多喜二の伯父に当たる人物。多喜二も学生時代に住み込みで小樽の店を手伝った逸話が残っています。王子製紙が苫小牧で製紙工場の操業を始めたのを機に、マチの発展を見込んだ創業者が1909年(明治42年)に苫小牧に移り住み、1912年(明治45年)に「小林三星堂」を開店しました。
 よいとまけを世に送り出したのは、創業者の孫で三星初代社長の小林正俊さん(故人)です。戦前の苫小牧では、紙の原料となる丸太の積み降ろしで、丸太につけた綱を引く時の「よいとぉ、まいたぁ(よいっと巻け)」という労働者の力強いかけ声が町中に響き渡っていたといいます。

 「苫小牧への気持ちを作品にしたい」との思いを抱いていた正俊さんは、当時の苫小牧に広がっていた風景そのものを、お菓子の形に落とし込んだのです。勇払原野に自生し、地元住民が野摘みを楽しんでいた特産のハスカップをジャムに使い、丸太をイメージしたロールカステラを編み出しました。

 

食べづらくても、なめちゃえばいい…!

 現在、三星の経営は既に創業家から離れていますが、佐藤課長によると、社内にはこんな話が伝わっているそうです。
 よいとまけの食べづらさの原因になっている、ロールカステラの外側に塗られたジャムは、丸太の樹皮を表現したものでした。発売当初から、食べるときに手がべたついたり、包装から出しにくかったりしたため、「もっと食べやすくならないのか」などと、購入した人からはさまざまな注文が付いたといいます。
 そんな時、正俊さんは「この形と色を見てください。力強さがあって美しいでしょう。指が汚れたってなめてしまえばいいんです」と答えたそうです。正俊さんが愛した苫小牧にこだわったからこその、食べにくさだったわけです。
よいとまけを考案した三星初代社長の小林正俊氏(三星提供)

よいとまけを考案した三星初代社長の小林正俊氏

苫小牧から北海道を代表する銘菓に

 正俊さんの思いは徐々に市民の間に浸透し、市外の人への贈り物に用いられるなど、苫小牧銘菓としての地位を徐々に確立していきました。
 2011年に転機が訪れます。全国各地のご当地情報を紹介する民放の人気番組「秘密のケンミンショー」に、よいとまけが登場したのをきっかけに販売数が急増したのです。全国区で知名度が高まり、北海道を代表する銘菓へと成長しました。現在の3倍ほどの量を製造した時期もあり、目も回るような忙しさだったといいます。

 また。別のテレビ番組の街頭インタビューで苫小牧市民が「日本一食べにくいお菓子。でもうまい!」とよいとまけを評したのをきっかけに、「日本一食べにくいお菓子」として認知されるようになりました。

ハスカップ減産の苦労も、コラボ商品で輝き

 もちろん、全てが順風満帆だったわけではありません。苫小牧周辺の開発が進み、地元だけでハスカップを確保することは難しくなっていきます。近年、ハスカップが抗酸化作用のあるアントシアニンなどを豊富に含むとして「健康に良い果実」などと注目され、関連商品も続々と売り出されました。このため、三星は、生産量全国一の美唄市農協などからハスカップを仕入れ、よいとまけ用の特製ジャムをつくっていました。それでも原料供給が追いつかず、減産に追い込まれたこともありました。
 そうした逆境の中、2015年に開発したのが、初の姉妹商品として誕生したよいとまけのイチゴ味です。女性人気の高いイチゴを使い、発売から約2カ月間で約4万本を出荷し、好評を得ました。現在では定番商品として定着しており、リンゴやレモンといった季節限定商品も登場。よいとまけ全体での製造本数は年間約80万本に達しているそうです。一時期より店舗網は縮小しましたが、今も苫小牧を本拠に道内25店を構えています。
イチゴ味やリンゴ味も登場したよいとまけ(岩崎勝撮影)

イチゴ味やリンゴ味も登場したよいとまけ

苫小牧市の三星本店(岩崎勝撮影)

苫小牧市の三星本店(岩崎勝撮影)

 道内にはたくさんの有名な菓子があり、競争は激しいです。それでも、存在感を示し続けているよいとまけ。苫小牧の「今と昔」を感じながら、味わってみてはどうでしょうか。
(参考:北海道新聞 北の食トレンド)

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