スポンサーリンク

なまらあちこち北海道|日ハムの斎藤佑樹が二刀流高校生に聞く。父親は札幌市出身

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分42 秒です。

元プロ野球日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手が「バーチャル高校野球」のフィールドディレクターとして、今年二刀流高校生として話題になった光永翔音さんを訪ねてインタビューをしました。
光永翔音さんのお父さんは、札幌市の出身で、高校ではバスケットボールの選手として、全道大会でも活躍し、札幌市の選抜選手としてアメリカ選抜とも戦っています。
そんな札幌にも縁のある光永翔音さんの話題です。

写真・図版
競泳の練習に励む光永さん(右)に高校野球との両立を振り返ってもらった

写真・図版

写真・図版
甲子園の開会式

写真・図版
同上

写真・図版
今夏の東東京大会準々決勝

写真・図版
同上

斎藤佑樹「未来へのメッセージ」 東京・日大豊山へ

ようやく秋めいてきた10月下旬、日大豊山(ぶざん)(東京)のプールを訪ねました。

この夏からずっと会いたいと思っていた光永翔音(しょうおん)さんの話を聞くためです。

8月6日、第105回全国高校野球選手権記念大会の開会式。阪神甲子園球場の緑の芝の上を歩く制服姿の光永さんを、司会者がこう紹介しました。

「行進の先導は日本大学豊山高校野球部の光永翔音さんです。光永さんは競泳選手として昨年の高校総体で男子100メートルバタフライなどで3冠を達成しました」

「また今年の東東京大会では4番打者としてチームのベスト8進出に貢献しました。競技を超えた『二刀流』の光永さんが、入場行進を先導します」

夏の甲子園の優勝投手で元プロ野球選手の斎藤佑樹さん(35)が、高校野球情報サイト「バーチャル高校野球」のフィールドディレクターとして取材活動をしています。野球界やスポーツ界の未来を考えます。(バーチャル高校野球)

高校野球でも兼部は認められています。ただ、その多くは部員不足に悩むチームが他の部活動に所属する生徒に兼部を頼むケースが多いように思います。

光永さんは、全国高校総体の競泳で2年生で3冠を達成するほどの選手です。高校野球との両立は簡単ではなかったはず。彼の思いをずっと聞いてみたかったのです。

片方が不調でも… 掛け持ちにメリットも

ようやく実現したインタビューで、多くのことを教えてくれました。

光永さんが競泳に本格的に取り組みはじめたのは小2のころ。中学時代にはバタフライの50メートルなどで日本中学記録を樹立しました。

一方、小1の夏から始めたという野球でも、小6のときにプロ野球ロッテのジュニアチームに選ばれるほどの選手に成長しました。

中1のとき、第100回全国選手権記念大会3回戦で金足(かなあし)農(秋田)が横浜(神奈川)を逆転で破った試合を甲子園で観戦し、「ここでプレーしたい」と思ったそうです。

高校進学の際は、「競泳も野球もまだ終わらせたくなかった。どちらでもトップに立ちたい」と思っていたといいます。とはいえ、この2競技を高いレベルで両立させられる高校は簡単に見つかりません。

悩みつつ、全国屈指の競泳の強豪校、日大豊山の水泳部を見学したときに野球部との兼部について尋ねると、学校側から「サポートする体制をつくりますよ」と言われたそうです。

野球部も夏1回の甲子園出場歴がある日大豊山で、二つの夢を追うことを決めました。

両立する上で大きな問題は、二つの部活動にどう時間を割くか。

最初は試行錯誤だったそうです。光永さんと両部の指導者で話し合い、大会日程を踏まえて2週間ごとのスケジュールを固めるようにしました。

光永さんの希望で2年生の途中まで競泳を重視し、2年夏以降は野球中心に時間を割いてきたそうです。

掛け持ちにはメリットもあり、片方の競技がうまくいかないときに、もう一方に没頭することで気持ちをリセットすることができ、メンタル面での安定を保てたそうです。

次のステージは競泳で

仲間たちの理解も欠かせませんでした。「一緒に練習できなかった時間がなかったかのように扱ってくれた」と光永さん。「野球の大会があれば水泳部員が、競泳の大会があれば野球部員が、『頑張れ』と応援してくれた」

今夏、日大豊山は東東京大会準々決勝で東亜学園に敗れました。甲子園への夢が絶たれてから1カ月ほどは、競泳をやっているときでも最後の打席がフラッシュバックしたそうです。

それほどまで本気で野球にも水泳にも取り組んできたからこそ、周囲から理解され、サポートを受けられたのだと思います。

今後については、「本気でやる野球は高校が最後。次のステージでは競泳のトップをめざしていきたい」と言います。

競泳で高1のときのタイムを更新できていないといいます。水泳では体の左右対称のバランスが大事で、どうしても左右のバランスにズレが生じてしまう野球をやりながらでは限界があるようです。

もちろん野球はいまでも好きです。

「競泳は個人競技で、野球はチーム競技。インターハイで優勝したときよりも、野球の最後の大会で、みんなでつかんだ1勝のうれしさの方が大きかった」

その喜びを、競泳で超えてみたいとも思っているのです。野球を諦めるのではなく、競泳でさらなる高みをめざすための決断なのです。

野球以外の可能性も大切に

僕が高校に進学するとき、野球以外の競技にも挑むという選択肢はありませんでした。「高校野球に専念しないといけない」という固定観念があったように思います。

一方、野球の母国である米国では、野球のほかにアメフトやバスケットなど複数の競技に挑む学生が珍しくありません。

同じ野球という「枠」のなかですが、前例のない投打の「二刀流」に挑戦する大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手の影響もあって、日本でも複数のことにチャレンジすることが否定されない時代になってきていると感じています。

光永さんも意識をしていたようです。

「僕と同じように二つの競技に打ち込む子の保護者から連絡をもらうこともあり、道を切り開いていきたいという思いはありました」

将来、水泳で活躍する光永さんが野球で培ったものも心のよりどころにしてくれたら、野球人としてこんなにうれしいことはありません。応援していきたいと思います。

そして、高校野球にも、野球以外の可能性の芽を摘むことなく、挑戦できる空気が広がるといいなと思います。もしかしたら、それが野球人口の減少という大きな課題を解決する糸口になるかもしれません。

光永選手の今後に期待しています。

(朝日新聞ニュース、バーチャル高校野球)

【スポンサーリンク】
感謝を伝える〜お祝い米専門店【お祝い本舗】

コメント

タイトルとURLをコピーしました