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67歳で漫画家デビューとは!その名が「ハン角斉」だそうです。「はんかくさい」とは「馬鹿だ」という意味の北海道弁です。なかなか遊び心を持った方のようですね。
十勝管内幕別町のハン角斉さん、短編集を出版<北の漫画家たち>
ハン角斉さんは十勝管内新得町出身です。小学1年の時には、すでに漫画に熱中しており、手塚治虫の「鉄腕アトム」をまねて描いていたそうです。周囲の友人から絵を褒められるうちに「自然と漫画家になるものだと思っていた。石ノ森章太郎の『マンガ家入門』も読んでいた」と話します。
ところが地元の高校に入学するころになると、「自分だけの個性的なキャラクター」が描けないことに気付きました。在学時に「月刊漫画ガロ」に送った人生初の投稿作品は「雰囲気はあるけど絵がイマイチ」という評価。以降は7、8年ごとに数ページ描き出しては、未完で断念することが続きました。「ストーリー作りまで進めない。漫画家の夢も自然消滅してしまった」と振り返ります。
地元の高校を中退し、その後、都会に憧れて東京都八王子市の夜間高校に編入しました。卒業後は都内の材木店やごみ収集の仕事に就きましたが、対人関係にストレスを感じ、自営業で働ける柔道整復師の資格を取得。十勝に戻って30代半ばの時、十勝管内芽室町に整骨院を開きました。
開業直後、人生の転機になる漫画に出合います。写実的な筆致と美しい男女の絵で定評がある漫画家・池上遼一さんの新人時代の作品を読んだのです。「確かにうまいけど、めちゃくちゃ上手という訳ではなかった」
それまでは「才能がある人は違うな」と思っていたハン角斉さんでしたが、「どうやってここまで美しい絵が描けるようになったのか。才能ってなんだろう」と自問し、池上さんが一流になるまでの努力を悟ったといいます。
考え続けた末、「池上先生は美しい絵を描きたいと思って描いている。自分がオリジナリティーのある絵が描けないのは目的がないからだ」との結論に至りました。そして、美しい絵にも憧れつつも、今後、自分は大好きな「あしたのジョー」や「めぞん一刻」のように、味のあるキャラクターを描こうと誓いました。
そんな中、2019年に短編集の表紙にもなった「眠りに就く時…」が秋の小学館新人コミック大賞青年部門で最終選考まで残り、奨励金10万円を手にしました。漫画を描き続けて初めて結果が残った瞬間――。この時、64歳でした。
「ビッグコミックスペリオール」副編集長の小鷲夏之さん(48)は「狂気じみている執拗(しつよう)な書き込みで、丹念に時間をかけたことがよく分かった」と振り返ります。「うまい下手ではなく、オリジナリティーのある絵柄なんです。『もてない男が収容されている』っていう不条理な設定も面白くて、1ページ目から読み手を引き込む魔力がありました」と評価します。
他の編集者からは「年齢が高すぎる」「絵が古い」「面白いけど商業的に成功できないのでは」などの否定的な意見もありましたが、小鷲さんは担当編集者に手を上げたそうです。「作品から、もっといい絵を描きたいという気持ちが伝わる。高齢だけど、まだまだ伸びるし面白くなる」と直感したといいます。
ハン角斉さんは整骨院の仕事を終えた午後9時から翌日午前4時までを執筆時間に充てています。描いては休憩を繰り返しながらネームや下書き、ペン入れを行い、30ページ前後の作品を完成させるまでは3カ月の時間を掛けるそう。執拗とも評される細かい線描ゆえですが、「描き込みの多さは自信のなさからなんです」と謙虚に語ります。
作品の最初の読者はいつも妻の慈子さん(69)だそうです。「ここ分かりにくいよ」「題材が悪いのかも」と、時に辛辣(しんらつ)な言葉を交えながら、何年間も漫画を描き続けるハン角斉さんを支え続けてきました。締め切り前には整骨院を閉めることが増え、収入は減りました。それでも、夢だった漫画家の道を歩み出したハン角斉さんを、慈子さんは「全国の皆さんに読んでもらえるのはすごいよ」と喜んでくれました。
単行本の出版は、整骨院を訪れる人たちにも伝え、「そりゃすごいねえ」「読んでみたい」と驚かれたといいます。けれども、いまだに漫画家としての実感はないといい「面白い作品を描かなければ次は載せてもらえない。初めて雑誌に載ってからの3年間、ほぼ年中無休で漫画に向き合っています」と語ります。
現在は、過去に未完で終わっていた作品の構想を改めて練り直し、次回作を執筆中です。「自分の漫画家人生はまだ始まったばかり。常にチャレンジャーのつもりで面白いものを描き続けたい」と語っていました。
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