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2004年夏の甲子園で北海道勢初の優勝を成し遂げ、翌05年に連覇した駒大苫小牧高の快進撃は高校野球ファンの語りぐさだ。当時、チームを率いた香田誉士史さん(52)と、主軸だった林裕也さん(36)はいま、母校の駒沢大(東京)で監督とコーチとして、同じユニホームを着ている。
駒大苫小牧の甲子園連覇支えた香田監督、林主将の師弟コンビ復活 母校駒大の再建に挑む
かつての師弟
駒大は東京都世田谷区のグラウンドで練習試合を行った。
ベンチの香田監督の横に、林コーチが立つ。継投のタイミングや代打の人選などを相談しながら、2人はマウンドや打席の選手に大声で伝えた。「気持ちよくバットを振らせるな」「そろそろストライクを取りにくるぞ」
栄光の日から20年が過ぎ、立場や環境が変わっても、野球に向き合う真摯(しんし)な姿勢はまったく変わらない。
夏の甲子園を連覇した2人は、まさしく時の人だった。
香田監督がチームを鍛え上げ、林さんは強力打線をけん引する左の好打者だった。林さんは2年生だった04年の準々決勝で、横浜高(神奈川)の涌井秀章(現プロ野球中日)からサイクル安打を達成した。翌05年は主将として、2年生投手の田中将大(現楽天)を擁するチームをまとめた。
雪が降る冬場のハンディを雪上ノックなどで乗り越え、北海道に深紅の優勝旗をもたらした駒大苫小牧高の監督と主将。甲子園を席巻したチームの2人がいま、駒沢大の指導を託されたのには、厳しい部の現状があった。
駒大野球部は現在、「実力の東都」(4部制)といわれる大学リーグの中で、強豪ひしめく1部(6チーム)に所属する。部員は118人。1947年の創部で、リーグ優勝27回は専修大の32回に続く2位だ。全日本大学野球選手権大会は6回の優勝を誇るが、94年以来、優勝はない。
19年1月、OBの林さんがコーチとして招かれた。18年まで9年間、社会人の東芝でプレー。指導経験はなかったが、学生に近い31歳の若さと、高校、大学、社会人の全てで主将を務めた人間性の高さを評価された。
薄まった強豪の姿
駒大はなぜ、勝てなくなったのか。林コーチは就任してまもなく、理由の一端を選手たちの姿から感じ取った。
チーム内の上下関係が乱れていた。上級生が下級生に買い出しや洗濯を強要する。選手らが寮生活を送る中で、上級生が決めた規則は「自分勝手」(林コーチ)なものばかり。チームはまとまりを失っていた。
林コーチは土台をつくり直した。「そもそも人間性が備わっていない選手に、いくら野球を教えてもうまくならない」。上級生が通信アプリLINE(ライン)で、勝手に下級生に命令することを禁じるなど、寮生活やグラウンドでの規則は全て指導者で決め、徹底させた。
「一気に全ては変わらない。1年ずつ、問題を解決していった」と林コーチは振り返る。練習中は、プレーへの不満を態度に出す選手に厳しい言葉をぶつけた。「僕の伝え方はうまくないけど、選手には全力で接し、いいことと悪いことは明白にしている。それが一番、伝わるのではないかと思っている」
チームは次第に変わり始めた。選手はお互いを尊重し、試合中は、ベンチ入りの選手がグラウンドを整備するメンバー外の選手に「ありがとう」と感謝を述べる。技術よりも言動や姿勢を重んじる林コーチの教えについて、駒大苫小牧高から駒大に進学した捕手の兒島健介さん(4年)は懐かしさを感じる。
「駒大苫小牧と通じる部分があるというか、高校時代の教えは試合に出る人の姿を大切にしていた。全員が納得する選手が試合に出る。メンバー外の選手がレギュラーを応援できないのならば、本当に強いチームとはいえない、と」
林コーチは自らの指導を「無意識だった」と言う。今年2月、恩師の香田監督が監督に就任すると、会話を交わすうちに駒大苫小牧高での3年間が「根本にある」と気づいた。「(自分には)香田監督の血が、流れている」
緻密な野球
香田監督は駒大苫小牧高を退職後、鶴見大(横浜市)のコーチを経て、17年から監督となり、20年には社会人野球の最高峰、都市対抗大会でベスト8入り。世代交代の必要性を感じて23年限りで退任すると、駒大の大倉孝一前監督から後任に推薦された。
母校からの誘いに香田監督は、福岡から単身で駒大の野球部寮に入り、選手らと寝食を共にする。社会人の指導も経験した香田監督の野球は、学生にとって「緻密」だという。
バントは構えるタイミングが数種類もあり、状況や相手野手の動きを見ながら、選手の判断でバスター(ヒッティング)にも切り替える。日常の注文も細かい。体づくりのために毎日2度、全員の体重を記録する。寮生活では、けが防止のため、指が露出したスリッパを禁じた。
常勝軍団になるために
香田監督はサインプレーの精度を求め、攻撃中のエンドランの成功率を高めるために「おどおどせず、どっしりとするように」と選手に伝えた。そしてプレーのミスは責めない。「守りでも緊張する中で、前に攻められないと勝てない。攻めてうまくいかなければ、試合に出した監督の責任だと思えばいい」
林コーチが整えた土台の上に、「高い技術を重ねていければ日本一になれると思っている」と香田監督は言う。
林コーチは言う。「僕は香田監督の精神や考え、目指す野球を選手がしっかり理解して動けるよう、全力でサポートしたい。駒沢は『常勝』が求められる。いずれ必ず、大学日本一になります。絶対に、なってみせます」
こうだ・よしふみ
佐賀県出身。佐賀商高、駒沢大を経て1994年に佐賀商高のコーチとして夏の甲子園優勝を経験。95年に駒大苫小牧高の監督となり、2004年夏の甲子園で北海道勢初の優勝を果たす。05年に連覇、06年は準優勝。08年から鶴見大を指導し、12年からは社会人の西部ガスでコーチを務め、17年から監督に。20年に都市対抗大会で8強入りを果たすなど全国レベルに育て上げた。
はやし・ゆうや
後志管内京極町出身。駒大苫小牧高では1年秋からベンチ入りし、2004年夏は準々決勝で大会史上5人目となるサイクル安打を達成。05年は主将としてチームを連覇に導いた。駒沢大では首位打者とベストナインをそれぞれ受賞。社会人の東芝では9年間プレー。現役引退後、19年1月から駒大のコーチを務める。
(参考:北海道新聞Dセレクト)
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