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倉本聰さんへのインタビューの抜粋です。
豊かさの犠牲 目をそらすな 倉本聰さんに聞く
札幌市内で開かれた先進7カ国(G7)気候・エネルギー・環境相会合(15、16日)に合わせ、札幌ドームでの環境イベント「環境広場ほっかいどう2023」に脚本家の倉本聰さん(88)=富良野市在住=が出展し、自動車や携帯電話、衣類などのごみを弔う葬式のような空間作品「文明の墓場」を展示しました。
私たちは豊かさにあふれた文明社会をどう生きるべきなのか。倉本さんが北海道新聞のインタビューに思いを語った。(聞き手・工藤雄高)
――「文明の墓場」に込めた思いを教えてください。
「新しいものが出ているが、新しいものを全部つくるのに、いちいち前のものを捨てなくちゃならない。すると、そこでまたCO2が出てしまう。たとえばテレビ。ハイビジョン、4K、8Kと。進むのはいいが、そのとき前にいらなくなったものは全部ごみとして出てきて、それが廃棄の手段によってはCO2を出してしまう。
そこにみんな、あんまり目を向けないで、新しいものができたって方に目を向けちゃう。そこの問題をしっかり踏まえないと。確かに新しいものをつくると、経済が好転する。経済好転という方向にみんな向いちゃってるんじゃないかって気がして。
だから、捨てられたものに対して墓場をつくってみた。ふつう墓って、そこにぬかずいて涙流したり悼んだりするわけだけど、誰も垢(あか)に対して涙を流すやつはいないし、悼みも祈りもしない。そうやって文明の今までの残りカスがどんどん捨てられる。その極端な例が核のごみ(原発から出る高レベル放射性廃棄物)。
核のごみに至っては見向かないどころか、引き受け手がいないっていう矛盾にぶつかっているでしょ。そのことを強く意識しないと、まずいんじゃないかな、ということで、こういう企画をした」
――環境エネルギー問題と人間の豊かさをもう一度考えるべきではないか、という思いですね。
「そうですね。もともと人間は自分のエネルギーだけで生きていた。脳が肥大化して、サボることを覚えた。そのために、5メートル離れたテレビをつけるために、5メートル歩くエネルギー消費を抑えてリモコンを使ってしまう。
人間は抑えることを便利という言葉で表現した。全てそこから環境問題は出ている気がする。最初はそれが家畜だったが、奴隷になり、捕虜になり、弱者になり。産業革命以降は化石燃料にそれがなっちゃった。どんどん進んで、いまや原子力までいってしまった。
自分のエネルギーで生活していたときはCO2はそんなに出なかった。もともとCO2は森林が吸い取ってくれる程度だった。植物はCO2を吸って酸素を出す。植物と動物だけで地球上のバランスは成り立っていた。
そこでいろんな余計なことが出てきちゃうから、人間が便利を追求するために環境問題ってやつが出てきちゃったということを、みんなが認識しないと、いくら新しいものを提示してみても、ダメになっちゃうという気がする」
――便利さが環境を悪くしていると確信したのはいつですか。
「『北の国から』というドラマは、実はほとんどこういう問題なんですよ。だから、いま考えたのは『北の国』っていうブースをつくっちゃえばよかったなって。それが一番簡単だったなって。
あの中には風力発電も出てくるし、最後はうんこで発電までしちゃえっていう意見まで出てくる。あれはまさに、ちょうどバブルが始まったころだった、スタートは。
ぼくはちょうど富良野に移ったから、バブルの一番にぎやかなところは知らないんだけど、あのころから、富良野っていう田舎に住んでみたら、田舎の人がやっていることが、今でいうエコだなって。ぜんぶ自分の力、エネルギーでやっちゃう。そこにもう参りましたよね。知識ってのはあんまり必要じゃなくて、知恵でもっていろんなものをやっていく世界だった」
――G7環境相会合に寄せたメッセージで「知識と智恵はどちらが大事ですか」と投げかけています。
「高倉健さんがこっちに来て、農家の知り合いのオンボロ車に乗せられて、どこかへ移動したらしいんです。ほんとにオンボロ車で、がちゃんってマフラーがなくなって、車が動かなくなったんですって。
どうしたのかと言ったら、『いやマフラー落ちたわ』って。『ちょっとマフラー探してくる』って、なかなか帰ってこない。3時間くらい待たされた。したら、ぷらぷら歩いて帰ってきて、『なかったー』って。
代わりに捨てられた缶カラを三つ四つ拾って帰ってきた。それを自分でつなげて、マフラーのとこに差し込んで、それで車動いたって言うんですよ。これは都会人には思いつかない、こういう考え方は。こういうことがほんとうのエコだろうと思うね」
(参考:北海道新聞デジタル発「よく読まれている記事」)
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