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なまらあちこち北海道|44歳でスカイランニングの女王・沢田愛里選手

スポーツ

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過酷なレース、「スカイランニング」で気を吐いている女性アスリートが札幌にいる。
春夏連覇の女王・沢田愛里選手だ。世界選手権での優勝を目指す沢田選手を追った。

44歳で過酷競技の第一線、スカイランニング春夏連覇の沢田愛里 支えは亡父の「存在」

全日本スカイスノー選手権でゴール後、優勝を喜ぶ沢田さん(中央)=沢田さん提供

全日本スカイスノー選手権でゴール後、優勝を喜ぶ沢田さん(中央)

■夏の「女王」が雪山に挑む

 スカイランニングは山岳や階段を舞台に走って速さを競う新しい競技で、沢田選手は昨年9月に山形県で開かれた全日本選手権の「バーティカル種目」(駆け登りレース)の女子エリート部門で優勝した。「バーティカルの夏冬2冠は今回は私だけができる」と、冬の全日本選手権の初出場を決めた。

 スカイランニング

 山岳や階段を駆け上がったり、山の中で50~80キロの長距離を走り、早さを競う競技。夏山が舞台の「山岳」、雪山が舞台の「雪上」、ビルなどの階段を駆け上がる「階段」の3分野に分かれる。山の斜面で比較的短い距離を駆け上がる「バーティカル」は、主に山岳分野で行われる。
 今年4月6日、群馬県嬬恋村のパルコール嬬恋リゾートで開かれた「全日本スカイスノー選手権」のスタート時点はスキー場のリフト乗り場付近。スキー場を駆け上がる3.5キロのコースを走って登り、標高2100メートルの山頂ゴールを目指す。標高差は610メートル。女子には計10人が出場し、そのうち長野県と神奈川県在住の2人は、3月上旬にイタリアの雪山で開かれた「スカイスノー世界選手権」の日本代表だった。
全日本スカイスノー選手権でスタートする沢田さん(手前)=大会主催者提供

全日本スカイスノー選手権でスタートする沢田さん(手前)

 男女一斉スタートで周囲の選手が勢いよく前に出たため、「イーブンペースでいこう」
と考えていた沢田選手は出遅れてしまった。

圧巻の逆転優勝

 春の雪はザラメ状だった。前走者を抜くために少し横にずれるとザクザクとした雪に足が埋まり、余計な体力を消費してしまった。「踏み込むと足場が崩れて力が地面に伝わらなかった」と振り返る。
 軟らかい雪に足を取られながらも、体勢を大きく崩さずにペースを保てたのは、普段から雪上で練習している成果だ。山頂まで残り数百メートルで、世界選手権代表で19歳の長野県の選手を抜き、トップでゴールした。優勝タイムは41分58秒。2位に16秒差を付け、圧巻の逆転優勝だった。

冬も屋外で練習

 沢田選手は、最低気温が氷点下10度を下回る冬の朝も、毎日練習している。冬の平日は主に雪の積もった北大構内を走り、週末は雪が積もった札幌市内の藻岩山や円山を3~5回往復する。練習パートナーは市内の複数人の練習仲間だ。その朝練を自身は「AAR」と呼ぶ。「愛里」「朝」「練習」の頭文字から取った。
 昼間はフルタイムで働き、会社まで往復3・5キロの道のりを吹雪の日も毎日走り続ける。滑りやすい雪の上でバランスを取るため、体幹は自然と鍛えられる。「そんな私が雪山の大会で負けるわけにはいかない」と、強い思いで臨んだ大会だった。
トライアスロンの大会に出る沢田さん=2023年、沢田さん提供

トライアスロンの大会に出る沢田さん=2023年

デュアスロンのアジア王者

 帯広市生まれ。小学2年から札幌手稲高までは水泳に打ち込み、藤女子大在学中からトライアスロンを始めた。ランニングと自転車で競うデュアスロンでは、日本選手権とアジア選手権で4連覇するなどアジア最強の選手だった。
「吾妻山登山競走」で疾走する沢田さん=2023年、沢田さん提供

「吾妻山登山競走」で疾走する沢田さん=2023年

 スカイランニングとの出会いは2019年。デュアスロンのトレーニングで士別市での「天塩岳速登競争」に初めて出場して優勝。翌年に連覇し、「この競技に向いているかもしれない」と思った。
 トライアスロンやデュアスロンと違う、ゴールの景色にも魅了された。「そこにどんな景色が待ち受けているか分からないのがいい。天気によっても違う。苦しい道をたどった末の景色は、たとえ結果がどのようでも私にとってのご褒美になる」

「父が見てくれているから」

 祖父が競輪選手だった。父は東大を出て、日本放送協会(NHK)に勤めていた。両親は沢田選手が小学校を卒業した時に離婚。父は自転車に乗るのに苦労するほどだったという。

 父は、大人になった沢田選手が東京のお台場でトライアスロンの日本選手権に出る姿を何度も見に来てくれた。最期の病床で「運動ができないコンプレックスを娘がなくしてくれた」と、会社の人を通じ遺言を残してくれた。「私は父が見てくれているから競技を頑張れた」

 

次の目標は世界選手権

 16年に亡くなった父親が競技を見てくれることはなくなった。いまは応援してくれる人たちのために頑張れる。年間を通じて続けるAARで、代わる代わる練習に参加してくれる仲間がいる。22年に行ったクラウドファンディングで応援してくれた人がいる。
 競技で好成績を出すと、みんなが笑顔になってくれた。だから走り続けられる。次の目標は、9月にスペインで開かれるスカイランニングの世界選手権だ。
(北海道新聞Sノート)

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